4章2節 礼拝学 - Liturgics -
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初版 2008年8月10日
1. 礼拝(典礼)
キリスト教の礼拝は、三位一体の神を神として認め、その名を聖としてほめたたえ、栄光をあらわすものです。
「聖」と訳される聖書のことばは、「分ける」という意味です。「名を聖として・・・」というのは、あらゆる被造物とは峻別された、まったく異なる存在である創造主が「神」であることを認め、「神」としてほめたたえることです。月や星、太陽、動植物などの被造物を神とはせず、それらは創造主なる神の栄光をあらわす造られた存在として、それらの「神」から本来の創造主なる神に、「神」の栄光をお返しするのです。
また、主イエスを、自分の救い主と告白し、神の子として(マタイ16章16節など)、賛美します。主イエスの十字架の贖いのゆえに罪赦され、今は、信仰によって主イエスの復活に結び合わされ永遠のいのちをいただき、天の国籍をもつ者になった恵みを、感謝するのです。
さらに、新しく生まれて神の子とされた者として、聖霊に導かれて聖霊の実を結ぶことのできるよう(ガラテヤ5章)、日々の祝福を求めて祈ります。
こうしてみると、キリスト教の礼拝は、日々の信仰告白の歩み、キリスト者の生き方そのものと言うことができます。聖書も、神の求める礼拝は「霊とまこと」(ヨハネ4章24節)による礼拝であり、「霊的な礼拝」*1 とは、「イエス」を「キリスト」と告白して生きる日々一瞬一瞬の歩み、その総計である人生(自分自身)を、神に献げることである、と述べています。
*1 ローマ12章1節の新改訳によります。新共同訳では「なすべき礼拝」と訳されています。英訳では、「spiritual worship」(NRSV)、「reasonable worship」(NRSVの脚注)、「true worship」(TNIV)
そして、信仰告白の歩みである日々の礼拝という「羽」を、「扇の要」のようにつなぎ合わせ、支えるものとして、日曜日の礼拝があります。
キリスト者は、週のはじめの日曜日をキリストの復活された「主の日」として覚え、「キリストのからだ」(エペソ〔エフェソ〕1章23節など)である「教会」に集い、同じキリストのからだの部分である他のキリスト者(兄弟姉妹)とともに、ひとつになって礼拝をささげます。愛し合い、祈り合い、支え合って、また一週間、日々礼拝の人生を歩むのです。主イエスも、「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいる」(マタイ18章20節)と約束され、教会のなかに支えを置かれました。
救われたときは「個」でした。信仰告白は、「家族が信じるから」「偉い人が信じているから」という「他人の神」「他人の救い主」というのではなく、「私の神」「私の救い主」という個人的なものだからです。
キリスト者の礼拝も、信仰告白の日々という意味では「個」です。ですが、それら個々の礼拝は、「キリストのからだ」という有機的な一体のなかで「ひとつ」にされ、そのなかでなされていきます。キリストのからだの部分部分に注目すれば複数の「個」ですが、普通、人を数えるときに、臓器(部分)ごとに数えるということはしませんから、全体としての「人」の単位で数えるならば、「ひとつのキリストのからだ」という「個」になるのです。
キリスト者の礼拝が「個」であるというときには、このような二重の意味があることに気づきます。
迫害のとき、信仰告白に立つか否かを問われるのは「個」です。しかし、その信仰告白は、教会のなかで、兄弟姉妹の祈りのなかで立つものです。毎週の主の日に、愛し祈り合う兄弟姉妹とともに信仰を告白して主を礼拝し、一週間、その礼拝に支えられ、信仰を告白して歩む礼拝の日々を歩み、そういうなかで迎えた迫害の日にこそ、はじめて主イエスを「神の御子キリスト」と告白する信仰に立てるものなのでしょう。この点は、迫害の歴史が実証していると思います。
それにしても、「ひとつ」と言いながら、現在、見渡すと、教派・教団というものに分かれ、非常に多くの教会があります。これはどういうことなのでしょう。かつては、東方正教会と西方のカトリック教会、カトリック教会とプロテスタント教会、またプロテスタント内でも、これら異なるグループを擁する国や地域の間で、戦争・殺戮まで繰り広げられることがありました。それでも「ひとつのからだ」と言えるのでしょうか。
深く突きつめて考えるのは歴史神学や組織神学の教会論の議論に譲りたいと思いますが、ここでは、主イエスを「神の御子キリスト」と告白する同じ信仰に立つ限り、目に見えるところでは別々であっても、霊的にはひとつであると考えたいと思います。実際、地域ごとに教会がある状況はパウロの時代からすでにあり、そのなかで彼は「ひとつ」ということを手紙で述べました。
さて、教会の礼拝に話を戻しますが、礼拝のスタイルは、二千年の歴史や地域・教派などによって、千差万別です。時代によっては、形式(儀式)主義に陥り、礼拝本来のいのちが失われたこともありましたが、そのたびに本来のあり方に立ち返ろうと、礼拝復興運動(Liturgical movement)が起こりました。16世紀プロテスタント宗教改革も、そのひとつと言えるかもしれません。
現在の教会の礼拝の姿をみるとどうでしょうか。たとえばプロテスタント教会の場合、たいていは、祈りや賛美、説教や献金などがあり、聖餐式や、ときには洗礼式などもあります。そのひとつひとつに意味があり、礼拝式を構成しています。その意義については、聖書に基づきながら礼拝と教理の歴史を研究することで、明らかになると思います。以下では、そのなかで、礼典(サクラメント)である洗礼(バプテスマ)と聖餐(エウカリスティア)、そして賛美(教会音楽)について概観します。
なお、混同しやすい用語として、次の2つを確認しておきます。
典礼: 礼拝のことで、広く、式典、サクラメント、教会暦の祝日などを含みます。
礼典: サクラメント(秘跡)のことで、プロテスタントでは洗礼と聖餐、カトリックでは5つ加えて七秘跡。
2. 礼典(サクラメント)
【1】 総論
プロテスタントでは「礼典」(または「聖礼典」)、カトリックでは「秘跡」と訳されることの多い「サクラメント」という用語は、直接聖書には出てきません。ラテン語「sacramentum」(サクラメントゥム)は、もともと軍務の宣誓を意味していましたが、2世紀以降、コロサイ1章26節などに出てくるギリシャ語「μυστήριον」(ミュステーリオン)*2 の訳語として使われ、教会用語になりました。
*2 コロサイ1章26節では、「奥義」(新改訳)、「秘められた計画」(新共同訳)と訳されています。
なお、日本の東方正教会は、このギリシャ語を「機密」と訳して、サクラメントにあたる語に使います。
ミステリーというと、なんだか秘密の儀式のような感じもしますが、実は、クリスチャンでない人も慣用句として聞いたことのある「洗礼」(バプテスマ)や、カトリックの「ミサ」の中心である「聖餐」(エウカリスティア)のことを指しています。
プロテスタント教会の多くは、主イエスによる制定が聖書に明記されている、この2つを礼典としています(洗礼:マタイ28章19節、聖餐:第一コリント11章23~26節など)。
他方、カトリック教会では、中世の頃より、上の2つに、さらに5つ(堅信、告解、終油、叙階、婚姻)を加えて「七秘跡」とし、「どのひとつが欠けても秘跡は成立しない」(『カトリック教会文書資料集』1312)としています。
東方正教会は、「七秘跡」というような定めはしないようですが、同様の機密(秘跡)があります。
現在では各国語で執り行われているサクラメントですが、第二バチカン公会議(1962~65年)以前のカトリック教会では、礼拝者の多くがわからないラテン語によって執り行われていました。おごそかな雰囲気のもと、「執り行う聖職者」と「傍観者の一般信徒」という構図は、まさに秘密の儀式のようでした。
これに対し、16世紀の宗教改革によって生まれたプロテスタント教会では、集う礼拝者のわかる国語によって執り行われるようになりました。よくわからない秘密の儀式ではなく、理解できる神のことばに基づいた礼典にあずかり、救いの恵みを覚えて、礼拝をささげるためでした。
なお、東方正教会では「ことば」の理解を重んじ、早くから各国語で礼拝がなされていたようです。
【2】 プロテスタント教会における礼典の意義
プロテスタント教会では、義と認められ(ガラテヤ2章16節)、救われるのは(エペソ〔エフェソ〕2章8節)、「ただ恵みのみ」(Sola gratia)、「ただ信仰のみ」(Sola fide)という原則から、救いの条件や手段となるような行為や儀式を認めません。サクラメントについても、それを受けたから救われるのではなく、むしろ、すでにいただいている目に見えない神の愛と救いの恵みを、目に見えるかたちに表現し、保証する『しるし』として考えます。
この点について、改革派の代表的な信仰告白である『ウェストミンスター信仰告白』は次のように定義します。「礼典は、神によって直接制定された恵みの契約のきよいしるし、または証印である。それは、キリストとキリストの与える祝福とを表し、私たちがキリストにあずかることを確証するものである。また、教会に属する者とこの世の者との分水嶺となり、みことばに従って、キリストにある神への奉仕に、彼らを厳粛に従事させるためのものである」(27章1節)
【3】 カトリック教会の七秘跡
カトリック教会が、「どのひとつが欠けても秘跡は成立しない」と考える七秘跡は、次のとおりです(カッコ内のアルファベットはラテン語)。なお、洗礼、堅信、叙階の3つは、秘跡授与のときに聖霊のしるしが受ける者に刻まれるため、一生に一度のこととされています。
詳しくは、女子パウロ会のサイト「Laudate」の「カテキズムを読もう」の「第2編 キリスト教の神秘を祝う」をご覧ください。
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洗礼 (baptisma)
キリスト教入信の主たる秘跡です。ただし、キリスト教入信式は、この洗礼の一点に限らず、求道の準備から受洗後の教えを受ける段階まで、主イエスに結ばれて神の民として教会の一員となっていく全過程を含むとされています(特に第二バチカン公会議以降)。
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堅信 (confirmatio)
洗礼後に聖霊を受ける秘跡とされています。司教が受堅者に対して十字を切り、良心の純白を意味するオリーブ油と善徳の香りを意味するバルサム香を混ぜて作った聖香油を塗油します。叙階が聖職按手(任命)式であるのに対し、堅信式は信徒按手式とも呼ばれます。
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聖餐 (eucharistia)
「聖体の秘跡」です。司祭はキリストの代理として、秘跡を制定した救い主イエス・キリストの言葉を宣言します。「ミサ」と呼ばれ、カトリック礼拝の中心になっています。
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告解 (paenitentia)
「ゆるしの秘跡」です。洗礼を受けて後、罪を犯し、これを悔い改めて神の許しを願う信徒が、神と司祭の前でその罪を秘密に告白し、司祭の罪の償いの宣告をとおして謝罪を与えられる秘跡です。
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終油 (extrema unctio)
「病者の塗油の秘跡」です。主のみわざに基づく秘跡で(マルコ6章13節)、主の兄弟ヤコブの教えとして(ヤコブ5章14・15節)執り行われます。
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叙階 (ordo)
聖職の任命式です。沈黙のうちに按手が行われ、続く叙階の祈りのなかで、ふさわしい聖霊の賜物が与えられるよう祈ります。その後、各位階のしるしが授与されます(司教冠、杖など)。
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婚姻 (matrimonium)
婚姻は、キリストと教会との分離不可能な一致のしるしを表します(エペソ〔エフェソ〕5章21~31節)。カトリック教会が離婚を不許可とするのは、キリストと教会の不可分性と、夫と妻の不可分性を、婚姻という秘跡によって深く結びつけて考えるところにも理由があるようです。
ちなみに、イングランド王だったヘンリー8世(1491-1547)が、離婚のためにカトリック教会を離脱して英国国教会(聖公会)を設立した逸話は、「婚姻」の意義の重大さを物語っています。
【4】 東方正教会の機密
日本正教会のサイトの「祈り」というページの「機密」の項をご覧ください。
3. 洗礼(バプテスマ)
「~~の洗礼を受ける」という日本語の慣用句は、初心者・入門者の通過儀礼という意味合いで使われるので、「洗礼」という言葉自体は一般にも知られています。
キリスト教入信式としての洗礼式は、教会に集い、聖書の神の救いを信じた人が、聖書に記された福音について学び、教会の交わりのなかで祈りや賛美について習い、そういう準備のなかで迎えます。
式の形式は多様ですが、多くの場合、川や水を溜めた槽に、洗礼を授ける人(授洗者)と洗礼を受ける人(受洗者)が入り、三位一体の神に対する信仰について使徒信条にあるような短い確認の問答をしたうえで、授洗者が「父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授ける」と述べ、受洗者を水の中に沈めます(浸礼)。*3
受洗者が水から上がってきたときには、神にあって新しく生まれた者として、教会の兄弟姉妹に迎え入れられます。教会の洗礼式は、受洗者にとってはもちろんのこと、兄弟姉妹となる教会にとっても喜びと感動のときですし、天においても喜びがわき起こるときなのです。
*3 なお、病床にある人を水の中に沈めることは危険なので、その場合は水を数滴ふりかける形式をとることもあります(滴礼)。洗礼の形式について、バプテスマのヨハネが主イエスに授ける描写などからは浸礼の可能性もうかがわれますが、具体的に「こうせよ」との主イエスの指示は聖書に明記されていないので、長い教会の歴史のなかで、浸礼や滴礼など、様々な形式がとられてきました(ただし、プロテスタントのバプテスト派は浸礼に限定します)。
喜びの入信式である洗礼(バプテスマ)ですが、もちろん、単なる伝統的な儀式(通過儀礼)ではありません。主イエスが命じて定められた(マタイ28章19節)サクラメントです。
キリスト者は、「キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、・・・いのちにあって新しい歩みをするため」(ローマ6章3~4節)です。「バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされた」(コロサイ2章12節)のです。そして、バプテスマを受けてキリストにつく者とされた者はみな、キリストをその身に着たのです(ガラテヤ3章27節)。
このような聖書箇所から、水による洗礼(バプテスマ)式は、「葬式であり、結婚式である」と言われます。キリストの死にあずかるバプテスマによって、罪のうちを歩む古い肉の自分が死んでキリストとともに葬られる点で葬式であり、キリストの復活にあずかり、キリストと結びあわされて新しい歩みを始める点で結婚式なのです。
また、式は、それぞれの実体を表す象徴(しるし)のようなものであって、実体が生じる条件ではありません。葬式によって人が死んだり、結婚式によって結婚が形成されるのではなく、死んだから葬式をするのであり、結び合わされたしるし、また結婚が形成されていくしるしとして結婚式をするのです(プロテスタントの場合)。
同じように、プロテスタントでは、水による洗礼(バプテスマ)式も、それを受けることによって罪赦されて救われるのではなく、サクラメントの総論で述べたように、すでにいただいている目に見えない神の愛と救いの恵みを、目に見えるかたちに表現した「しるし」と考えます。当然ながら、水自体に伝説の聖水のような聖なる力があって、それによって清められるという因習も否定します。
このように、プロテスタントでは、水による洗礼(バプテスマ)式を罪の赦しと救いに必要な(条件や前提となる)儀式とは考えません。しかし、愛する主イエスが命じて定められた恵みの儀式ゆえに、主イエスを神の御子キリスト(参照:使徒8章36節の注〔37節として〕)と信じた者は、バプテスマを受けるのです。バプテスマを受けることは、人間による信仰告白のときであると同時に、目に見えない神の救いの恵みが表される、神の恵みのときでもあります。むしろ、神の恵みのほうがバプテスマの主たる意義と考える教会も多いと思います。バプテスマをとおして、受洗者はもちろん、教会の兄弟姉妹も、今一度、主イエスの十字架の死と復活を思い起こし、神の愛と救いの恵みに感謝するひとときになるからです。
なお、バプテスマの意義(教理)や、幼児洗礼の可否、形式を浸礼に限るか否かなど、洗礼論の細かい議論については、プロテスタント教会の各派やカトリック教会、東方正教会によって見解が分かれます。詳しくは、本章の最終節に挙げた辞典の項目や文献などをご覧ください。
4. 聖餐(エウカリスティア)
【1】 総論
「聖餐」(エウカリスティア)は、主イエスが十字架にかかる前夜、最後の晩餐において定めたもので、カトリック教会の礼拝(ミサ)の中心であり、プロテスタント教会にとっても重要な礼典です。
「聖餐」(聖なる食事)と訳されるギリシャ語「ευχαριστία」(エウカリスティア)を、「聖餐」の意味で使う聖書箇所はありませんが、最後の晩餐において主イエスが「感謝」(祝福)をされたことや、この礼典にあずかる者たちが神の恵みを覚えて「感謝」することにちなんで、「感謝」を意味するこの語が教会用語になったようです。なお、聖書では、「主の晩餐」(第一コリント11章20節)、「パン裂き」(使徒2章46節・20章7節)と呼ばれています。
式の形式は多様ですが、多くの場合、主日礼拝のなかで行われます。聖餐制定の聖書箇所*4 を朗読し、祈りや賛美のうちに、教会に集う兄弟姉妹とともに同じパンと杯(ぶどうの実で造った飲み物。ワインやジュースなど)を飲食し、主の死と十字架の贖い、そして救いの恵みを思い起こします。
*4 聖餐制定: マタイ26章26~29節、マルコ14章22~25節、ルカ22章17~20節、第一コリント11章23~26節。ヨハネ福音書には直接の制定記事はありませんが、「五千人の給食」のなかで、キリストの肉(パン)と血について言及されています(ヨハネ6章53~58節)。
【2】 聖餐論
聖餐の「パン」は「キリストのからだ」、「杯」は「キリストの血」(血による新しい契約)と言われますが、その意義については、長い教会の歴史のなかで聖餐論争が繰り広げられ、教会分裂の一因にもなりました。ここでは代表的な考え方を簡単に説明します。
まず、早くから教父たちに支持された見解として、「化体説」(実体変化説)というのがあります。パンと杯は、外観こそ変化しないものの、神への感謝の祈りによって、質的にはキリストの血肉そのもの(実体)に変化するという説です(パンと杯ではなくなる)。また、「実体になる」という点から、聖餐式はキリストの血肉を反復的に犠牲として奉献する儀式とされ、それによって功徳を積み、救いに至るという考え方も生まれました。この見解は、細部の変遷を経て、第四ラテラノ公会議(1215年)やトリエント公会議(1545~63年)において、カトリック教会の教義として確認されました。
16世紀宗教改革では、信仰義認の立場から、「犠牲の反復によって功徳を積み、救いに至る」という「行いによる義認と救い」を否定し、「化体説」も退けました。しかし、そのプロテスタント教会も、パンと杯の理解においては見解に相違を生み、教派に分かれていく一因となりました。
ルターは、キリストの実在の面を強調して、「感謝の祈りの後も、パンはパン、杯は杯のままだが、同時に、キリストのからだと血の実体も共に実在する」という「共在説」を主張しました。「パンであり肉であり、杯であり血である」という二重の実在は、キリストが「完全な神であり、完全な人である」と言われるキリスト論とパラレルに考えられるもので、共在説自体は、中世スコラ神学においても主張されていました。なお、日本正教会(東方正教会)も、共在説に似たような立場のようです。
これに対して、ツヴィングリは、「聖餐は『主イエスの記念として』(参照:新共同訳の第一コリント11章24・25節)もたれるものであって、パンと杯は、それぞれ主のからだと血を象徴し、血肉そのもの(実体)ではない」とする「象徴説」を主張しました。象徴説自体は古く教父時代から主張されており、西方最大の教父と言われるアウグスティヌスも、「聖餐における飲食は肉体的な食事を意味せず、しるしをとおしてキリストのからだを食する信仰の食事を意味する」と述べています。
これら両説の間に立つものとして、カルヴァンは、「キリストの血肉の実体は地上のパンと杯に実在するものではないが、聖霊によって天にまで高められることによって、天の神の右に座すキリストの血肉(実体)にあずかる」とする「折衷説」を主張しました。物質的にはあくまでもパンと杯(キリストの血肉ではない)を食するのですが、聖霊によって、霊的に天のキリストの血肉にあずかることができるというのです。
こうしてみると、教会史からは分裂の一因とも思える聖餐論ですが、聖餐本来の意義はまったく逆です。パウロは、分派分裂の問題を抱えたコリント教会に対して、第一の手紙において次のように書き送りました。「私たちが祝福する祝福の杯は、キリストの血にあずかることではありませんか。私たちの裂くパンは、キリストのからだにあずかることではありませんか。パンは一つですから、私たちは、多数であっても、一つのからだです。それは、みなの者がともに一つのパンを食べるからです」(10章16~17節)。また、12章では、多様な御霊の賜物と、一つのキリストのからだなる教会について述べます。そして、この10章と12章の間に、主から受けたこととして、聖餐について記すのです。
このパウロの論述からは、聖餐とは、主の死を告げ知らせる(第一コリント11章26節)とともに、教会の一致を証しするものと言えるでしょう。聖餐のたびに、ともに食す兄弟姉妹のためにも主が死んでくださったことを思い起こし、ともにキリストのからだであることを覚え、一つのパンから食し、一つの杯から飲むのです。そして、「もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶ」(第一コリント12章26節)という教会の姿をとおして、世にイエスの証しを立てるのです。主イエスも最後の晩餐で次のようにおっしゃいました。「もし互いの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです」(ヨハネ13章35節)
【3】 陪餐論
陪餐(聖餐式にあずかること)の許される人については、諸教会で見解の相違がみられます。
多くの教会の場合、陪餐は洗礼を受けた者に限定されます。さらに、神学や聖餐論の相違などもあり、同じ教派の教会員に限定する教会もあります。もちろん、相互陪餐を認め、他の教派の教会員に陪餐を許す教会もありますが、信条・信仰告白の近い教会に限定する場合も多いようです。また、幼児洗礼と似たような問題として、小児陪餐についても議論されることがあります。
他方、近年クリスチャン人口が減少している欧米では、神の先行の恵みを強調して、洗礼を受けていない礼拝参加者にも開かれた聖餐式を実施する教会が増えているようです。また、国教会から離脱して、陪餐を国教会員やその受洗者以外にも認めてきた沿革をもつ自由教会の諸派も、陪餐を限定しません。*5
*5 ただし、自由教会の多くは「聖霊によって新しく生まれた者」(参照:ヨハネ3章3節)という条件を設けています。
この「新生者」という、いわば“実質的基準”は、他の諸教会も同意するところです。ですが、「ふさわしくないままで聖餐にあずかる危険」(第一コリント11章27節)を避けるために、多くの教会では、“実質的基準”の判断に際し、明確な「受洗者」という“形式的基準”を用いていると考えられます(なお、「聖霊による新生は洗礼による」と考える立場の場合は、「受洗者」=“実質的基準”になります)。
他方、自由教会の多くは、「ただ恵みにより、信仰によって救われ、新しく生まれる」という信仰義認と、「新生したかどうかは、信仰告白と聖霊に導かれて新しく生きる日々の証しによってこそ判断されるべき」という敬虔主義(Pietism)の考えを強調し、“形式的基準”によって陪餐を阻むよりも、主を信じてすでに新生した者が洗礼を待たずに聖餐にあずかれる恵みのほうを重視していると考えられます。
陪餐について、聖書は次のような基準を設けています。
「もし、ふさわしくないままでパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。ですから、ひとりひとりが自分を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい。みからだをわきまえないで、飲み食いするならば、その飲み食いが自分をさばくことになります」(第一コリント11章27~29節)
「私はさておき、ろくに奉仕もしない隣の人は、ふさわしくない」などと、兄弟の目のちり(マタイ7章4節)をとやかく言う人は、もちろんいないと思います。むしろ、自分の日々の歩みと心を真摯に吟味するとき、主のからだと血にふさわしいなんて、とんでもない!と思うに違いありません。聖餐式のパンと杯が回ってくる間、あまりにもふさわしくない罪人である自分の姿に打ちひしがれ、うなだれるかもしれません。たしかにふさわしくないのです。それどころか、この世の誰一人として、ふさわしい者として主の前に立てる人はいないでしょう。
しかし、そういう私たちも、今では聖餐の恵みにあずかることができるのです。ふさわしい者でなかったのに、恵みによってふさわしい者とされ、神の国の食卓に招き入れられました。主イエスが十字架の上で、肉を裂かれ、血を流され、罪の贖いをしてくださったゆえに・・・。
ですから、こう言われるのです。「これは、あなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい」「この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい」「ですから、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです」(第一コリント11章24~26節)
5. 賛美(教会音楽)
【1】 賛美の意義
礼拝堂から流れてくる賛美歌は、教会のシンボルとして、多くの人が思い浮かべるものです。
カトリック教会の荘厳な礼拝堂に響くグレゴリアン・チャント、大草原の小さな村の教会から流れてくる素朴な賛美歌、都市部の大教会で魂を震わすゴスペル、近年急速に成長しているアフリカ教会の激しいビート・・・。
21世紀の教会から流れてくる賛美歌は多様です。しかし、礼拝に欠かせないという点では同様です。
聖書で「賛美のいけにえ」「くちびるの果実」(ヘブル〔ヘブライ〕13章15節)と呼ばれる賛美歌について、アウグスティヌスは「賛美歌とは、歌うことによる神への賛美である」と述べました。
この定義をもう少し詳しく表現するなら、「賛美歌は、神の霊に捉えられた信仰者の詩的発露であり、作曲や歌唱をとおして信仰を告白し、感謝し、ほめたたえる叙情詩」と言えるでしょう。たとえて言えば、キリスト者の礼拝(本節冒頭を参照)を神に贈るために包む「ふろしき」のようなもの(媒介、メディア)です。
「歌」ですから、もちろん音楽や文学などの芸術的センスは求められます。ですが、それ以上に、「聖書に基づいた歌詞であること」、「礼拝に集う会衆一同で歌うことのできる、簡素で美しい歌詞・旋律であること」は、譲ることのできない原則と言えるでしょう(特にプロテスタントの場合)。
これはあたかも、技巧を凝らしつつも下品な過剰包装を避け、包むべきものをきちんと包める「粋なふろしき」でなければならない、というのと同じです。
教会の風物詩である、礼拝堂から流れてくる楽器の調べも、もちろん単なるBGMではありません。
たとえば前奏は、礼拝者を日々の生活から神の御前という聖なる場所へと招き入れる(聖別する)役割を担っています。いわば、旧約聖書の神殿にかけられた垂れ幕のような役割と言えるでしょう。
また後奏は、礼拝で恵みを受けたキリスト者を、聖なる場所から日常へ、一週間それぞれの場所へと再び送り出す(派遣する)役割を担っています。いわば、背中をポンと押すような役割です。
このように、賛美歌や器楽は、礼拝に欠かすことのできないものとなっています。
聖書の時代にも多くの楽器が使われ(22種の楽器が出てきます)、歌い踊り、多様な賛美が、音楽によってなされました(出エジプト15章20節、第二サムエル6章5節、詩篇149篇3節など)。そして、ご自身の民の賛美をお受けになる神は(新共同訳の詩編22編4節)、その賛美を住まいとされます(新改訳の詩篇22篇3節)。
【2】 賛美の歴史(西方教会を中心に)
新約時代のユダヤ教の礼拝では詩篇の朗唱が主流だったようで、初代教会もその習慣から詩篇歌が中心だったようです。パウロ書簡にみられる「詩と賛美と霊の歌」(エペソ〔エフェソ〕5章19節、コロサイ3章16節)は、当時の賛美のスタイルをうかがわせるもので、ルターによれば、「詩」は詩篇歌、「賛美」は詩篇以外の賛歌で、マリヤやザカリヤの賛歌(ルカ1・2章)などにみられるような当時の定型賛美歌、そして「霊の歌」は信仰者が日々の生活や礼拝で霊的感動に導かれて歌った即興賛美歌と解されています。
変化と創造性に富む時代から、安定のなかで教会の組織化・礼拝の式典化が進む時代になると、結果として賛美が会衆から取り上げられ、聖歌隊などの専門家に独占されるようになりました。367年のラオデキヤ教会会議では、手拍子や打楽器を使った民衆的賛美や、霊の感動により突発的に始まる賛美によって礼拝の秩序が乱されないように、楽器類の使用と会衆歌唱が禁止されました。
中世の西方教会では、グレゴリオ聖歌などを「神の定めた神聖な旋律」と考える傾向があったため、それらの既存歌を変えることは許されませんでした。
しかし、そのような制限のなかでも、より豊かな賛美を求めた教会は、850年頃にオクターブ・ユニゾン(完全8度の斉唱)を生み出し、やがて、平行に完全5度、その転回の完全4度というように、理論を逸脱しないかたちで新しい賛美を生み出していきました。声部も2声にはじまり、6声をはるかに越える曲を生み出しました。
こうして歴史を経るにつれ、もともとは素朴だった祈りや賛美の旋律が、徐々に複雑になり芸術的に洗練され、演奏も極めて高度な技術を要するようになりました。しかも、いつの間にか世俗の言葉も紛れ込むようになったのです。そのため、1323年には、教会音楽の世俗化と複雑すぎるポリフォニー(複旋律)を禁止する教皇令が布告されるほどでした。
西方教会の千年もの長きにわたる「賛美の独占体制」は、16世紀の宗教改革によって変わりました。
万人祭司の立場から、賛美を「神の恵みに対する信仰者の応答、感謝のささげもの」と考えたルターは、それまで聖歌隊などの専門家だけでなされていた礼拝賛美に、会衆も加わることができるようにしました。印刷技術が普及して間もなくの当時、まだ多くの信仰者たちは聖書を手にすることができませんでした。そこでルターは、聖書のことばを歌のかたちに整え、歌いやすいシンプルな旋律に乗せた、母国語の衆賛歌(コラール)を作ったのです。コラールの歌詞には、独自に新しく作詞したもののほか、従来のラテン語聖歌をドイツ語に訳したものや、宗教的・世俗的民謡を改変したものもありました。ルターの運動は、伝統的な音楽を一方的に拒否するのではなく、むしろそれらを大切にしつつ、従来なかったスタイルを生み出したと言えるでしょう。
カルヴァンも、ルター派の雄壮な歌声を聞いて感動し、会衆賛美を導入しましたが、自由に歌を作ったルターに比べ、カルヴァンは「韻律化した詩篇こそ賛美にふさわしい」と考え、自国語に訳した詩篇を歌詞としました。『フランス詩篇歌集』『ジュネーブ詩篇歌集』です。
こうして、ルターの流れをくむルーテル派などの教会ではコラールが、カルヴァンの流れをくむ改革派・長老派などの教会では詩篇歌が歌い継がれていきました。
詩篇歌は英国教会(聖公会)においてもアングリカン・チャントというかたちで進展しました。
また、英国のウェスレー兄弟による賛美歌や、新大陸アメリカの信仰復興運動(Revivalism)・大衆伝道のなかで用いられた福音聖歌も力強く発展しました。
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