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4章5節 実践神学の参考文献
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最新版 2009年12月10日 初版 2008年7月6日
【目次】
1. 礼拝学
2. 説教学
3. 牧会学
4. 辞典類の項目
【はじめに】
書店にない文献は、GeNiiや、国立国会図書館のリサーチ・ナビなどでお探しください。
最寄りのキリスト教主義学校の図書館や、公立の図書館などを利用するのもよいと思います。
その図書館になくても、他館の文献を取り寄せるサービスをしている図書館が多いです。
新刊チェックには、教文館の「新刊情報」や、クリスチャン新聞の「今週の本棚」が便利です。
なお、「神学文献大調査」というサイトにも充実した文献表があります。
1. 礼拝学
【1】 礼拝(典礼)
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今橋朗:監修/竹内謙太郎:監修/越川弘英:監修
『キリスト教礼拝・礼拝学事典』 日本キリスト教団出版局 2006年
約500頁で400項目を扱う中型事典で、諸教派の礼拝について概説しています。
項目表(PDF)を参考に通読すると、現在の礼拝学のおおよその見解を知ることもできます。
【2】 聖礼典(サクラメント)
【3】 祈り、霊性
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ボンヘッファー/森野善右衛門:訳 『共に生きる生活 改訳新版』 新教出版社 2004年
(原著:Dietrich Bonhoeffer, Gemeinsames Leben, 1939)
キリストのからだにつらなり主の晩餐にあずかる者の生き方を思い巡らす、古典的名著です。
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カルヴァン/ヘッセリンク:解説/秋山徹:訳/渡辺信夫:訳
『祈りについて 神との対話』 新教出版社 2009年
(原著:On Prayer: Conversation with God, introduction by I. John Hesselink, 2006)
祈りの黙想として有名なカルヴァン『キリスト教綱要』第3篇20章の本文に解説をつけた書です。
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ウィリモン/ハワーワス/平野克己:訳 『主の祈り』 日本キリスト教団出版局 2003年
(原著:William H. Willimon & Stanley Hauerwas, LORD, TEACH US, 1996)
本書では、主イエスの教えてくださった「主の祈り」を心の深みに刻みつけ、いつでも祈れるようになった人たちのことを「キリスト者」と呼びます。そして、キリストにある兄弟姉妹とともに「われらの父よ」と呼びかけてはじまる「教会の祈り」について、述べられていきます。
【4】 賛美
2. 説教学
【1】 説教論
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ウィリモン:編/リシャー:編 『世界 説教・説教学事典』 日本キリスト教団出版局 1999年
(原著:W.H. Willimon, R. Lischer, Concise Encyclopedia of Preaching, 1995)
約550頁で220項目を扱う中型事典で、20世紀アメリカ説教学の集大成と言えます。
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リシャー/平野克己:訳/宇野元:訳 『説教の神学』 教文館 2004年
(原著:Richard A. Lischer, A Theology of Preaching, 2001)
説教とは、礼拝の群れである教会において神の言葉として聞かれ、礼拝において聖礼典(サクラメント)とともに主の死と復活を思い起こさせるものであることを、この小書は凝縮して述べます。そして後半では、“実演”として著者の4つの説教を掲載しています。
本書はいわゆるハウツー本ではありません。しかし、教会学校などで必要に迫られて説教する方にとっても、まず読むべき本だと思います。ハウツー本や例話集を読んで、それらしく「演説」できたとしても、それで「説教」の務めを果たしたかと言えば、そうでないことも多いのです。むしろ、みことばに混ぜ物をして語る害も多く、かえって説教しないほうがよい場合さえあります。説教の奉仕を担う者は、まず腰を据えて「説教」について謙虚に学ぶべきでしょう。
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バルト/トゥルナイゼン/加藤常昭:訳
『神の言葉の神学の説教学』 日本キリスト教団出版局 1988年
(原著:Karl Barth, Homiletik, 1966 & Eduard Thurneysen, Das Wort Gottes und die Kirche, 1971)
本書でバルトは、説教を2つの側面から定義し、それに基づいて論述していきます。
「説教とは、神ご自身によって語られた神の言葉である。この言葉が、自己の使命に忠実に従う教会において、そのために召された者に、解き明かしを求めるのである。その求めは、聖書の言葉を、現代の人間に関わりあるものとして自由な言葉で解き明かすように、というものである」(「神の働き」という側面)
「説教とは、神ご自身の言葉に仕えようとする人間の試みである。教会に命じられた試みであって、そのために特に召された者によってなされる。それは、聖書の言葉を、現代の人間に関わりあるものとして自由な言葉で解き明かそうと試み、しかも、聴衆が神ご自身から聞くべきものとして告げるよう試みるのである」(「人の試み」という側面)
全体に流れているのは、まっすぐ主イエスを見つめ(ヘブル12章2節)、召しに相応しく語るべきことを語れ、という勧めです。時間の限られた説教において、世間話をする暇があるくらいなら、みことばをまっすぐ誠実に語ることに時間と労力を注ぎなさい、と促します。
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イーヴァント/加藤常昭:訳 『説教学講義』 新教出版社 2009年
(原著:Hans Joachim Iwand, Homiletik-Vorlesung, 2004)
説教は神からの召命(ご命令)を受けて「神の言葉」を語るものであり、その使命は内に抑えておくことができず、語らざるを得ないほどに説教者を押し出します。その説教の本質を宣教と捉え、宣教とは、死に打ち勝ち、よみがえられた主キリスト・イエスの福音を、聖書に基づいて宣べ伝えることである、と語ります。「イエスは主である」(第一コリント12章3節)ことを宣べ伝えるゆえに、説教の使命には聖霊の注ぎが不可欠であることも確認します。そのうえで「君は説教の使命を委ねられているから説教しているのか、それとも自分の説教の成功を願って説教しているのか。君にとって神の言葉はあくまでも真実なのであり、どんなことがあっても、誰も聴いてくれなくても、神に時を委ねて、神の言葉に踏み止まる決意をしているか」(116-7頁)と問いかけます。
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ロイドジョンズ/小杉克己:訳 『説教と説教者』 いのちのことば社 1992年
(原著:David Martyn Lloyd-Jones, Preaching and Preachers, 1971)
教会に委ねられた第一の責務は「食卓のこと」ではなく「祈りとみことばの奉仕」であり(使徒6章)、礼拝における説教こそ最重要であることを再確認します。そのうえで、礼拝の説教は誰もができるものではなく、そのために神に召された者のみが担う務めであることを明言します。そして、召された説教者の備える資質を次のように述べます。「神の愛がその人のうちにあり、彼に神を愛する愛があるなら、また人々のたましいに対する愛と心遣いがあり、聖書の真理を知り、御霊がそのうちにおられるなら、その人は説教するようになるでしょう」
説教は、聖霊の自由な働きに導かれて聖書のことばをまっすぐに語るものである、という基本線に大いにうなずき、元気づけられます(枝葉の部分では異論もありますが)。
【2】 説教史
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ダーガン/中嶋正昭:訳/関田寛雄:監修 『世界説教史 全4巻』 教文館 1994~97年
(原著:Edwin Charles Dargan, A History of Preaching, 3rd ed., 1974)
【3】 演習
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加藤常昭 『説教黙想集成 1巻
2巻
3巻』 教文館 2008年
第1巻「序論」には、説教を備えるときの黙想について、味わい深い解説がなされています。説教の聖書箇所を前に、「神のことば」として語られる礼拝の説教を、説教者も聴く者の一人として、主の御前に静まり聴く。そのなかで、助け主なる聖霊(ヨハネ14章26節)に導かれて、語るべき「神のことば」を備えていく。本書は、この黙想のプロセスを、先達の多様な黙想を味読しながら修練していくための演習本で、著者の主宰する「説教塾」でも用いられたテキストです。
なお、読み手の採る聖書学の学説によっては、釈義などに見解の相違を覚えるものもあるかもしれません。
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加藤常昭 『説教批判・説教分析』 教文館 2008年
二部構成からなり、第一部で分析的な説教批評について理論の解説をした後に、第二部で実際の説教批評について「説教塾」での演習の様子などを掲載しています。よい批評も的外れの批評もそのまま赤裸々に実況されている様子は、説教批評の意義と難しさを浮き彫りにしています。と同時に、みことばのプロフェッショナルとして、宣べ伝える技芸(art)を絶えず研鑽し合う必要も実感させます(説教壇で裸の王様にならないためにも・・・)。
【4】 ブックレット、雑誌、Webサイト
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『説教塾ブックレット』 キリスト新聞社 年刊
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『説教黙想 アレテイア』 日本キリスト教団出版局 季刊
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説教塾
説教者たちが、説教について学び、互いの説教を分析的に批評し合う、研鑽の場です。
説教塾サイトの「説教のための文献表」にも、説教(学)関連の書籍が紹介されています。
3. 牧会学
【1】 牧会論
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ボンヘッファー/森野善右衛門:訳 『説教と牧会』 新教出版社 1975年
ボンヘッファーによる牧師研修会の講義を聴いた研修生たちのノートをもとに編纂された小書で、講義のエッセンスを凝縮した逸品です。ボンヘッファーにとって牧会とは、「説教のつとめをさらに徹底させて、個々人にまでみことばを届かせること」であり、具体的な罪をあらわにして、いつも新しく説教において福音を聞くことができるようにする奉仕だったようです。
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トゥルナイゼン/加藤常昭:訳 『牧会学』 日本キリスト教団出版局 1961年
(原著:Eduard Thurneysen, Die Lehre von der Seelsorge, 1946)
バルトとともに「神のことばの神学」を担ったトゥルナイゼンは、牧会を次のように定義します。「牧会」とは、説教と聖礼典、すなわち礼拝で語られた「神のことば」(福音)を、一人ひとりの悔い改めと養いのために語り直して届ける「魂への配慮」であり、同時に、その養いによって一人ひとりを「神のことば」の説教と聖礼典へと導く、聖化と訓練の一行為である。このように定義したうえで、牧会の内容である福音(罪の赦し)と、牧会の対象である人間の魂について、また、手段としての対話のあり方や補助学である心理学や精神治療法について、詳述していきます。
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リュティー/トゥルナイゼン/赤木善光:訳 『説教・告解・聖餐』 新教出版社 1960年
(原著:Walter Luthi, Eduard Thurneysen, Predigt, Beichte, Abendmahl, 1957)
説教(説教学)、告解(牧会学)、聖餐(礼拝学)というように、実践神学の主要三科にまたがるエスプレッソな小書で、告解はトゥルナイゼン、他はリュティーの筆によるものです。
告解について言えば、罪の赦しは、主の主権による一方的な恵みによってであることを再確認します。罪を告白したから、「告解」という「律法」を行ったから、ではありません。時間的・外面的には告解が先行するように見えますが、本質的・内面的には、まず主の赦しの宣言(マタイ9章2節参照)があり、告解はそれに後続するものである、と述べます。
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ウィリモン/越川弘英:訳/坂本清音:訳 『牧師』 新教出版社 2007年
(原著:William H. Willimon, PASTOR, 2002)
米国の著名な実践神学者であり、30年以上にわたり牧師として教会の現場にも立ってきた著者の、神学と証の書(理論と実践の結実)です。著者は序文で「牧師という職務」について、次の4つの前提を示したうえで、「祭司としての牧師」や「預言者としての牧師」など、さまざまな側面から「牧師」について述べていきます(なお、「王としての牧師」がないことに注意)。
(1) 牧師の職務は、人や組織によるのではなく、神の召命(認証)に基づく、神のわざである。
(2) 牧師の職務は、教会に与えられる神の賜物によってなされていく、教会のわざである。
(3) 牧師は、みことばの説教と聖礼典によって、教会の信仰を代表(告白)する存在である。
(4) 牧師の職務は、十字架という「つまずき」に生き、それを宣べ伝える、困難なわざである。
職務のなかで力尽き、辞任する牧師も少なくないなかで、著者は牧師職の一貫性の源泉を次のように述べます。「牧師の職務を継続するための唯一の道は、ただ、神が本当に臨在しておられるという確信からのみ生まれる。すなわち、み言葉とサクラメントにおいて、また私たちの牧師としての働きにおいて、神は土の器の中に隠された宝のように臨在し、私たちの愚かさにもかかわらず、私たちを通して、また私たちのために、すべてのものを神ご自身のもとへ招き寄せてくださる」
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石田順朗 『牧会者ルター』 日本キリスト教団出版局 2007年 〔初出:聖文舎 1976年〕
主の十字架の愛に打ち震え、自分のように卑しい者さえ顧みられる神の恵みと神のことばに生きたルターの、牧会者としての歩みを、彼の残した文書から辿ります。ルターにとって牧会とは、神ご自身が、そのみことばを用いて、信徒の交わりという脈絡において働かれることでした。また、ルターは、「隣人を愛せよ」というみことばに生きるキリスト者一人ひとりに牧会の基本責任を認め(全信徒祭司性)、その群れのなかから、特にみことばの務めに召されている信徒を、教会の代表として牧師に任命すると考えたようです。最終章では、現代牧会論として、トゥルナイゼンとティリヒ、バルトの見解を批評的に取り上げた後に、北森嘉蔵の「痛みの類比」こそ、ルターの十字架の神学とそれに基づく牧会論に結びつくものである、との著者の見解を展開しています。
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カルヴァン/マッキー:編/出村彰:訳 『牧会者カルヴァン』 新教出版社 2009年
(原著:John Calvin, Elsie Anne McKee ed., Writings on Pastoral Piety, 2001)
牧会における敬虔をテーマに、カルヴァンの祈りや説教、手紙などを編纂した文献集です。
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バクスター/尾島真治:訳/高橋義男:訳 『牧会論 (online)』 岡山孤児院活版部 1896年
(原著:Richard Baxter, THE REFORMED PASTOR (online), 1656)
ピューリタンの精神に立った「悔い改めた牧師」の実践について述べる、牧会学の古典です。
なお、バクスターについては、梅津順一『ピューリタン牧師バクスター』(教文館 2005年)や、
今関恒夫『バクスターとピューリタニズム』(ミネルヴァ書房 2006年)などをどうぞ。
【2】 牧会史
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マクニール/吉田信夫:訳 『キリスト教牧会の歴史』 日本キリスト教団出版局 1987年
(原著:John T. McNeill, A History of the Cure of Souls, 1951)
西方教会二千年の歴史における牧会の働きを、「魂への配慮」と「告解」(罪の告白と赦しの宣言)を中心にして概観する通史です。二千年の多様な牧会を駆け足で通覧するなかで、新たな発見があるかもしれません。内容的には宗教改革以降のプロテスタントに比重をおき、ルターなど改革者とその後継者たちが、なにより「牧会者」であったことを再確認する内容になっています。カルヴァンについても、「神学者である以上に牧師であった、正確に言えば、良い牧師であるために神学者であった」と述べられています。
なお、原著14章の東方教会についての章は、本書では訳されていません。また、原著は第二バチカン公会議前の出版のため、その後のカトリックの牧会(司牧)については、他書でのフォローが必要です。
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メラー/加藤常昭:訳 『魂への配慮の歴史 全12巻』 日本キリスト教団出版局 2000~04年
(原著:Christian Möller hg., Geschichte der Seelsorge in Einzelporträts, 1994-96)
原著は3巻、和訳は12巻からなる牧会者列伝で、古今63名の牧会の働きと言葉を紹介しています。教会史に登場する著名な人々の、牧会者としての姿にふれ、ならうべきロールモデルに接するよい機会になります。また、概説的な教会史ではあまり語られない、隠れた大信仰者と出会えるのも、本書の楽しみのひとつです。
なお、全12巻を俯瞰しながらの記念座談会を収録した『日本の教会と「魂への配慮」』(日本キリスト教団出版局 2005年)が、入門としておすすめです。
【3】 教会論
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舟喜順一 『聖書の教える教会について』 いのちのことば社 1987年
「わたしの教会を建てます」とおっしゃった主の教会が、どのようなものであり、どう広がっていったかを、今一度聖書のことばに立ち返り、丁寧に説いていきます。特に、使徒の働き(言行録)を開きながら、「教会が築かれていく」ことの本質を、「みことば」が伝えられ、それが広がっていくところに見ていきます。そして次のように述べます。「教会は、この世の宗教者によって作られる奉仕団体やサロンや圧力団体ではないし、単なる伝道団でも福祉団体でもなく、『神の教会』なのです。それゆえ、神の福音を伝え、神の喜ばれる愛のわざを行うはずなのです」
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渡辺信夫 『教会論入門』 新教出版社 1963年
渡辺信夫 『教会が教会であるために』 新教出版社 1992年
渡辺信夫 『今、教会を考える』 新教出版社 1997年
カルヴァン研究者としても知られ、長らく日本の教会で牧会に従事してきた著者の、その時々の証としての教会論三部作です。「みことばと聖礼典におけるキリストのリアリティ」という教会論の土台をしっかり据えたうえで、みことばの宣教に伴う教会の社会的責任(いやしと預言者的役割、教会と国家の問題)について筆を進めます。日本の教会に、厳しくも温かいまなざしを注ぎながら、教会論の広がりを、福音によって世界を知る広がりに重ねるように語っていきます。
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渡辺信夫 『カルヴァンの教会論 増補改訂版』一麦出版社 2009年〔初版:改革社 1976年〕
「教会論とは『われは教会を信ず』と告白する信仰の論理化されたもの」と定義し、文献をもとに「カルヴァンの教会論」を祖述しながら、それを「教会の選び」「教会の結集」「教会の形成」という三本柱で解釈していきます(三本柱で論じる各項目は目次の第1部~第3部で確認できます)。教会の「現象」ではなく「本質」から論を立てているので、カルヴァンの視座を温故知新として得ることができます。
【4】 雑誌、Webサイト
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『Ministry』 キリスト新聞社 季刊
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『牧会ジャーナル』 クリスチャン新聞 季刊
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牧会塾
牧会者たちが、現場の課題を互いに学びながら「気づき」を得、交わり「なごむ」場です。
4. 辞典類の項目
『新キリスト教辞典』(いのちのことば社、1991年)の項目より
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「実践神学」 498~500頁 入船尊
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「霊性」 1236~1241頁 日置善一
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「礼拝」 1243~1248頁 山崎順治
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「典礼」 933~934頁 太田良一
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「祈り」 66~69頁 岩井清
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「主の祈り」 547~550頁 宮村武夫
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「献金」 409~410頁 岩井清
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「教会暦」 290~293頁 有木義岳
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「礼典」 1242~1243頁 山崎順治
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「秘跡(サクラメント)」 1065~1066頁 太田良一
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「バプテスマ」 1029~1041頁 鈴木昌/鈴木英昭/勝原忠明/渋谷敬一
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「主の晩餐」 551~553頁 角川周治郎
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「聖餐の制定」 683~684頁 角川周治郎
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「聖餐式」 681~683頁 角川周治郎
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「聖餐論」 684~688頁 橋本昭夫
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「賛美」 468頁 工藤弘雄
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「賛美歌(史)」 468~471頁 天田繋
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「教会音楽」 245~253頁 岳藤豪希
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「説教」 847~849頁 羽鳥明
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「宣教学(伝道学)」 854~856頁 山口勝政
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「国外宣教」 422~432頁 古山洋右
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「伝道」 925~930頁 有賀喜一
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「教会成長運動」 286~288頁 鷹取裕成
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「神学のコンテキスチュアリゼーション」 445~448頁 山口勝政
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「世界の教会と神学」 795~845頁 宇田進/油井義昭
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「キリスト教と文化」 327~331頁 宇佐神正明
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「異教、異教徒」 44~46頁 藤巻充
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「諸宗教とキリスト教」 579~584頁 藤巻充
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「イスラムとキリスト教」 60~61頁 入船尊
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「仏教、ヒンズー教とキリスト教」 1095~1100頁 久保田周
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「儒教とキリスト教」 540~541頁 久保田周
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「神道とキリスト教」 635~638頁 稲垣久和
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「カウンセリング」 128~131頁 工藤信夫
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「教会教育」 253~260頁 田中敬康
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「教会学校」 256~258頁 田中敬康
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「職制」 573~578頁 鈴木英昭
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「カトリックの職制」 147~148頁 多井一雄
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「万人祭司」 1057~1058頁 角川周治郎
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「按手」 34~36頁 下川友也
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「教会政治」 281~286頁 安田吉三郎
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「教籍」 297~298頁 竿代信和
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「教会戒規」 683~684頁 竿代忠一
『新聖書辞典』(いのちのことば社、1985年)の項目より
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「礼拝」 1384~1387頁 小畑進
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「祈り」 147~148頁 岡村又男
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「主の祈り」 602~604頁 泉田昭
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「バプテスマ」 993~994頁 横山武
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「賛美」 521~522頁 天田繋
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「音楽」 261~264頁 岳藤豪希
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「教育」 375~378頁 斎藤良子
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「教会生活」 379~382頁 伊藤顕栄
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「教会組織」 382~384頁 丸山忠孝
『キリスト教大事典』(教文館、1968年〔改訂版〕)の項目より
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「実践神学」 478~479頁 加藤常昭
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「礼拝学」 1160~1161頁 加藤常昭
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「礼拝」 1160頁
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「祈り」 87~88頁
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「献金」 390~391頁
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「教会暦」 287~288頁 由木康/石居正己
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「礼拝形式」 1161~1162頁 石居正己/佐山大麓/竹内寛
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「礼拝用具」 1163頁 佐山大麓/竹内寛/森譲
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「リタージカル・ムーブメント」 1129頁 森譲
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「サクラメント」 443~444頁 竹森満佐一
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「バプテスマ」 839~840頁 小林信雄
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「聖餐」 611~612頁 福田正俊
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「聖餐論争」 613頁 北森嘉蔵
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「聖餐式」 612~613頁 森譲
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「ミサ」 1033頁 海老沢有道/竹内寛
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「賛美歌」 458頁 辻荘一/海老沢有道
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「キリスト教音楽」 310頁 辻荘一
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「説教」 646頁 加藤常昭
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「説教学」 647頁 山内六郎
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「説教史」 647頁 山内六郎
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「宣教」 655~656頁 松木治三郎
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「伝道」 732~733頁
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「外国伝道」 193頁 山永武雄
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「宣教学」 656頁 加藤常昭
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「キリスト教と文化」 317頁 桑田秀延
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「牧会」 992頁
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「牧会学」 992~993頁 岡田五作
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「牧会心理学」 993頁 三永恭平
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「キリスト教教育学」 311~312頁 小林公一
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「教会教育」 277頁
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「神学教育」 557~558頁 高崎毅
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「教会学校」 276~277頁 高崎毅
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「キリスト教(宗教)教育運動」 310~311頁 高崎毅
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「職制」 550頁 加藤常昭
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「万人祭司」 857~858頁 大崎節郎
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「教会政治」 281~282頁 岡田五作
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「教会規則」 277頁
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「教憲教規」 291頁 赤石義明
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「教会法」 285~286頁 北沢佐雄
『キリスト教神学事典』(教文館、2005年〔新装版〕)の項目より
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「実践神学」 262頁 Duncan B. Forrester
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「祈りの神学」 54~56頁 Alan Richardson
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「礼拝」 597~598頁 Alan Richardson
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「典礼の神学」 452~453頁 Don E. Saliers
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「典礼暦」 453~454頁 H. T. Allen Jr.
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「典礼運動」 451~452頁 R. C. D. Jasper
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「サクラメント」 236~237頁 J. Martos
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「キリスト教入信式」 166~170頁 Aidan Kavanagh
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「エウカリスティアの神学」 66~69頁 J. Martos
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「説教、説教学」 405頁 John Stacey
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「宣教」 408~410頁 John Stacey / Geoffrey Wainwright
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「宣教の神学」 410~413頁 Simon Barrington-ward
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「伝道」 449~450頁 Richard Stoll Armstrong
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「土着の神学」 463~467頁 小山晃佑
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「キリスト教と他宗教」 162~166頁 Marcus Braybrooke
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「牧会神学」 542~545頁 Rodney J. Hunter
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「カテケーシス」 92~93頁 David Konstant
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「聖職位階」 377~378頁 J. Martos
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「按手礼(叙階式)」 37~39頁 Peter E. Fink
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「使徒、使徒職」 270~272頁 Sean Freyne
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「司祭職」 255~257頁 Peter E. Fink
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「監督、司教、主教」 122頁 Richard F. Costigan
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「監督(司教)職」 122~123頁 Richard F. Costigan
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「教皇職」 152~153頁 R. P. C. Hanson / John Whale
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「牧会職」 541~542頁 Edward J. Kilmartin
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「信徒」 351~353頁 Mark Gibbs
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「教会法典」 150頁 E. W. Kemp
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「教皇教令」 152頁 Gerald O'Collins
『現代キリスト教神学思想事典』(新教出版社、2001年)の項目より
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「キリスト教の霊性」 138~147頁 Gordon S. Wakefield
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「典礼と教理」 417~423頁 Geoffrey Wainwright
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「秘跡神学」 463~470頁 Mark R. Francis
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「音楽とキリスト教」 46~52頁 Robin A. Leaver
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「説教の神学」 356~361頁 Thomas G. Long
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「伝道の神学」 409~416頁 Christopher Sugden
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「文化と神学」 582~584頁 Lesslie Newbigin
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「日本のキリスト教思想」 437~440頁 高柳俊一
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「中国のキリスト教思想」 370~376頁 Carver T. Yu
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「韓国のキリスト教思想」 88~92頁 Jung Young Lee
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「インドのキリスト教思想」 25~30頁 Alister E. McGrath
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「アラブのキリスト教思想」 12~15頁 Kenneth Cragg
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「イスラム教とキリスト教」 19~22頁 Kenneth Cragg
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「ユダヤ教とキリスト教」 649~652頁 Richard Douglas Harries
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「他の信仰形態とキリスト教」 597~605頁 Gavin D'Costa
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「牧会(司牧)神学」 614~615頁 David J. Atkinson
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「牧会(司牧)理論」 615~619頁 Stephen Pattison
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