聖書通読のすすめ
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聖書の選び方
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通勤・通学中に読むことの多い方は、『小型聖書』(新改訳)、『バイブルキューブ』(新共同訳)がおすすめです。訳文の違いの他、『小型聖書』には欄外注、『バイブルキューブ』には付録資料があります。
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家で読むことの多い方は、『チェーン式聖書』(新改訳)、『スタディバイブル』(新共同訳)がおすすめです。聖書本文と同じページに語句解説などがあるので、別に参考書を開く手間が省けます。ただ、何度も通読していると、これらの解説では、もの足りなさや解釈の相違を感じてくることもあるかもしれません。そのときは解説なしの聖書に乗り換えて(大きさが気にならなければ乗り換える必要はないですが)、各種聖書辞典・注解書で学んだことや礼拝説教のメモを聖書に書きこみながら、自分の“注釈聖書”にしていくのがよいと思います。辞典や注解書など、詳しくは「聖書通読のツール」をご覧ください。
聖書通読の骨(コツ)
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毎回、「主の祈り」を祈ってから読み始めます。
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わかっても、わからなくても、忙しくても、心騒ぐときにも、読み進めます。
特に、まだ聖書を読み始めて間もないときは、流し読みになっても、全体を把握する感じで。(※)
※ 参照: M. J. Adler & C. V. Doren 『本を読む本』(講談社学術文庫 1997年)
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一日のうち、「この時間は聖書を読む」と決めて、予定に組み込むと、失念・ため込みを防げます。
(たとえば、朝起き後の10分・夜寝る前の20分や、通勤・通学時間、朝トイレに入っている間など)
所要時間のぶん、テレビやインターネットの時間を削るのが効果的です。数週間で習慣化してきます。
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2人3人で励まし合いながらすると、めげません。通読サークルや教会全体で取り組んだり、
メールやミクシィなどを使って、「きょうは△章まで」と、お互い励まし合うのも、よい方法です。
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読んでいて、心にとまったところに線を引き、できればノートやメモ帳に日付を添えて書きとめます。
(旧新約でページや冊子を分けておくと、読了後に自分だけの筆写ダイジェストバイブルになります)
次の日に昨日のノートを読み返すと、その聖書のことばが心に残ります。
(長期記憶化するには、1週間後→3週間後→1ヶ月半後の間隔で3回読み返すのがよいそうです)
アウトプット(書き出し)にブログなどを使えば、移動中にケータイで読み返すこともできます。
また、感想などを添えて公開すれば、友だちからのコメント(フィードバック)を得ることもできます。
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2~3年続けて通読したら、文語訳や英訳など他の訳で通読すると、また新たな発見があります。
速いペースで続けた後は、一度、注解書を脇に年1回ほどのペースでじっくり取り組むのもよいです。
また、古来の写本作業のように書き写したり、朗読してみるのも、おもしろいでしょう。
手を動かして書いたり、声に出したりするのは、脳科学的にも有効な心に刻む(記憶)方法です。
なぜ聖書通読か?
聖書の正しい読み方は「身読」(embodied reading)※、つまり、素直にみことば(聖書のことば)に生きるという読み方です。みことばに生きるには、まず主の御前に静まり、聖書全巻から語られるみことばに聴かなければなりません。聴かないでみことばに生きることはできませんし、聴かないままでクリスチャンとして歩もうとしても独りよがりの信仰になってしまいます。この状態は、あたかも服を着ずに(ガラテヤ3章27節)、一日の仕事に出かけるようなものです。
※ 参照: ハウエル「キリストは聖フランチェスコのようであった」デイヴィス他編『聖書を読む技法』(新教出版社 2007年)
しかし他方で、クリスチャンにとって聖書通読は、したいのに挫折してしまう悩みの種として根深いものであり、この通読表をみなさんに使っていただくようになってからの反響の多さも、それを物語っています。
では、なぜ挫折してしまうのでしょうか?理由は多々あるでしょうが、通読するためのツールの乏しさも一因と考えます。通読は、いわば長旅にたとえることができますが、地図を持たずに行くと我が身の立ち位置を見失うように、通読表を持たずに通読することも、よほどのベテランでない限り、無謀な旅と言えます。飛行機のパイロットが必ずフライトプランを立てるように、通読にもプランナー(通読表)が必要です。
では、そうした地図(通読表)を持ったうえで、どこに向かうのか?すなわち、なぜ聖書通読か?その目的は?
この問いの答えは、冒頭の「みことばに生きる」に戻るのですが、みことばに生きる(目的)ために、聖書通読(手段)をするのです。みことばに生きることが、主を愛する献身の歩みだからです(ヨハネ14章23節、第一ヨハネ5章3節。聖書通読→みことばに生きる→主を愛する)。それが、私たちの罪のために十字架にかかってくださった主のご愛に応えて生きる、礼拝の生涯だからです。私たちは、「生きることは礼拝、死ぬこともまた益です」(参照:ピリピ〔フィリピ〕1章21節、ダニエル6章)と告白し、主日(日曜日)に礼拝に集い、十分の一献金を献げます。それと同じように、私たちの生涯、すなわち時間も、献げたいと思うのです。祈りとみことばのために・・・。
最後に、次の一節を引用して終わりたいと思います。
「読むよりも実行、みことばは実践してこそ価値がある。そのとおり。けれども、みことばの不思議さは、ただ読むだけで格段の違いをもたらすのである。ただ読むだけ、と自信なさそうにうなだれることはない。ただ祈るだけという卑下も不要なように、である。祈りとみことばは、そのままでなかなか力がある」
下川友也 『聖書通読にチャレンジしよう!』 より
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