本書の主題は「救い」です。2章4節後半は、新約聖書に3回も引用されていることから(ローマ1章17節、ガラテヤ3章11節、ヘブル10章38節)、「信仰」「信仰義認」が本書の中心主題であると考えることもできます。神に激しく問い続けた信仰者ハバククの姿は、ヨブに通じるものがあります。
南王国ユダの王ヨシヤの治世の終わり頃、ないしはエホヤキムの治世始め頃、北王国イスラエルはアッシリヤ帝国に征服されていました。その後、アッシリヤはナホムの預言どおりに滅びました。それから、エジプトとバビロンが支配権を求めて戦った結果、バビロン(カルデヤ人)が勝利しました。今や、南王国ユダは、強大な、しかし罪深いバビロンの国に脅かされていました(紀元前609〜597年頃)。この頃の南王国ユダは、暴虐と闘争、不正と不法がはびこり、霊的退廃のなかにありました。預言者エレミヤがハバククに20年も先立って「主のことば」を語ってきたにもかかわらず、民はその間、主のことばに聞きませんでした(エレミヤ25章3節)。このようななかでハバククの預言活動が行われたのでした。
神は耐え難い罪にあるご自分の民(ユダ)を永遠に忍耐せず、邪悪な異邦の民カルデヤ人(バビロン)を使ってさばかれます。実際それは、紀元前606〜586年にかけて、ユダヤ人のバビロン捕囚となったのでした。
神は、残虐非道な異教徒バビロンを神の怒りのむちとして用いましたが、自分を神とし、偶像を拝み、暴虐を行ったバビロンに対しても、さばきを宣告し(2章6〜19節)、紀元前537年、ペルシャ軍によって滅ぼしました。
神がバビロンに復讐し、エルサレムを再建する日まで、神の民はただ信仰によって生き(2章1〜4節)、神が邪悪な者たちを滅ぼされ、全世界に対するハバククの訴えが世界的に認められるという神の変わらない約束を信じてその実現を待つ。神の救いが実現されるのです(3章13節)。神に信頼する者は、ハバククと共に神を喜ぶことができます。
「しかし、私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう」(3章18節)