第51木曜 ミカ書5章〜7章



【祈り】

[1] 主の祈り

【聖書通読のたすけ】

【1】 ミカ書の構造

 前回紹介したように、預言書には特別な構造があります。ミカ書では、神のさばきが述べられた後で、神の恵み、あわれみが述べられ、それからまたさばきが述べられ、あわれみが述べられる。これが繰り返され、波打つような構造になっています。さばきと赦しが韻律的に進行します。
 ミカ書の区分方法は学者によっていろいろありますが、そのひとつとして、次の区分があります。第1部:1〜2章、第2部:3〜5章、第3部:6〜7章。それぞれの区分の始まりは「聞け」という言葉です。この3つの区分に、さばきと赦しのリズムを見ながら、読んでみてください。

【2】 メシヤ預言とイスラエルの回復(4〜5章)

 4〜5章は救いの約束の預言です。
 今の苦しみは、希望のない苦しみではない(4章9〜10節)。
 5章1〜4節はメシヤ来臨の預言です。2節の「ベツレヘム・エフラテよ」は「東京・江戸」という感じで、同じ地名を指します。ベツレヘムはエルサレムの南8kmほどにあった小さな村です。イエス・キリストは、この預言どおりベツレヘムで生まれました(マタイ2章4〜6節、ルカ2章4〜7節)。5章4節にはメシヤの具体的な姿が預言されています。
 5章5〜7節ではイスラエルの勝利が告げられます。そして10〜15節では、神がイスラエルを回復するために必要なさばきをなさいます。敵だけでなく、神の民のなかにも絶ち滅ぼされるものがありました。それは、軍備と迷信と偶像でした。民は神ではなく、これらのものに頼ったからです。

【3】 神の求める礼拝とミカの祈り(6〜7章)

 第3部(6章〜7章)では、イスラエルの罪が再び取り上げられ告発されるとともに、神の恵みによる新しい時代の訪れが告げられます。
 ミカは、6章1〜5節の言葉を述べて民を訴えます。それに対する民の答えが6〜7節。神が民を導き、真実を尽くされたことが明らかにされた今、民は神に応答し、何をもって神を礼拝すればいいのだろうか。自分たちにできる最大限のことを尽くして神を礼拝しようという民の言葉に対して、8節がミカの言葉です。礼拝の本質は供え物をすることではない。民の宗教がそのような外形的な物質的な礼拝になっていることが問題なのである。神が人に求めておられることは「公義を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むこと」、これこそが神の求める礼拝でした。
 7章はミカの祈りです。祈りのなかにもさばきと救いが繰り返されています。ミカ書の全体の構造からみて、第1部において、当時の国際情勢から来るユダの危機を説き、その次にユダの国内における政治と宗教の腐敗を説きました。最後に、まことの神を礼拝する正しい礼拝とは何かを述べて、自分の祈りをもって結びます。
 ヘブル語でミカとは「誰が主のようであろうか」の意味です。「あなたのような神が、ほかにあるでしょうか。あなたは、咎を赦し、ご自分のものである残りの者のために、そむきの罪を見過ごされ、怒りをいつまでも持ち続けず、いつくしみを喜ばれるからです」(7章18節)。これが神の本質です。神のあわれみによる復興の希望をもって、ミカの預言は結ばれています。


【信仰告白】

[2] 使徒信条