1章しかない、旧約聖書中最も短い書です。オバデヤとは「主(神)のしもべ」の意味で、ありふれた名前です。彼については、名前以外の情報がありません。
この書の目的は、エドムの、ユダに対する仕打ちへの審判と、ユダに対する栄光を語ることです。エドム人の祖先エサウはイスラエル人の祖先ヤコブと双子の兄弟でした(創世記25章)。
エドムとイスラエルは兄弟国でありながら敵対関係を続けていました。イスラエル民族の南王国ユダとその首都エルサレムが敵に侵略され、滅亡の危機に瀕しているとき、エドムは兄弟国としてユダを助ける立場にありながら、その危機をただ傍観し、エルサレムの滅亡を喜び、財宝の略奪に参加し、逃げていく人を殺害しました(11〜14節)。
エルサレムの惨禍がいつなのか、様々な説がありますが、可能性の高いものとして2つあります。
1. ヨラム王治下(紀元前848〜841年)のペリシテとアラビヤによるもの(第二歴代21章16〜17)。
2. バビロンのネブカデネザル王(紀元前605〜586年)によるもの(第二列王24章以下)。
この惨事がいつだったのかはともかく、苦しむ者に対するエドムの冷酷な態度を「同胞に対する愛の欠如」として、主は厳しく指摘し、非難します。そして主の日の到来のとき、エドムに神の審判があり、諸外国も主にさばかれるとオバデヤは預言します。イスラエルには、エドムに対する支配が約束され、時代や場所を越えた、全国民に対する主の王国の設立が宣言されます。
私たちは隣人にどのような姿勢で臨んでいるでしょうか? 「愛」と反対なのは「無関心」です。この書を通して、私自身、私たちの社会、私たちの国が、隣人に対してどう行動すべきなのか問われます。