第51日曜 アモス書6章〜9章
【祈り】
【聖書通読のたすけ】
【1】 時代背景など
紀元前750年頃、ヤロブアム2世の下で繁栄したイスラエルは、正義と公正に生きていませんでした。彼らは、自分たちが神の民として選ばれている目的を忘れ、自分の罪を深刻に受けとめず、恵みも真剣に受け取りませんでした。義の預言者アモスは、強い意志をもって社会正義を貫くために、真正面からイスラエルの不義に立ち向かっていったのです。
【2】 イスラエルに対する預言(3章1節〜6章14節)の続き
自分たちの軍事力(シオンとサマリヤは難攻不落と考えられていました)を頼み、ぜいたくに暮らしているイスラエルへのさばきの宣告です。サマリヤは破滅し、多くの人命が失われ、ぜいたくに暮らしていた者がまず捕囚の民となることが示されます。
6章13節の「ロ・ダバル」とは「つまらぬ物」、「カルナイム」とは「角」すなわち「力」を意味します。「あなたがたの最大の達成は最大のつまらぬ物だ」という意味です。神は御怒りの道具として「一つの民」(6章14節)を準備されます。
【3】 5つの幻(7章1節〜9章10節)による神の計画の啓示
5つの幻をとおして啓示されます。
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いなごの幻(7章1〜3節)
幻の後、とりなしの祈りと滅ぼさないという約束があります。
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火の幻(7章4〜6節)
幻の後、とりなしの祈りと滅ぼさないという約束があります。
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はかり縄の幻(7章7〜9節)
はかり縄ではかられるのはイスラエルの義です。とりなしの祈りや赦しの言葉が出てこないのは、神の忍耐は尽きて、イスラエルを襲う惨禍はもはや避けられないからです。
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夏の果物の幻(8章1〜3節)
ついに終わりがきたと言われます。ヘブル語の言葉遊びになっています。「夏の果物」(カイツ)と「終わり」(ケーツ)。カイツを見てケーツを悟れと語られます。
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さばき主の幻(9章1〜10節)
イスラエルの腐敗の最たるものは宗教的な領域にあったため、主は宮の破壊を命じます。「彼らのうち、ひとりも逃げる者はなく、のがれる者もない」(9章1節)。決して逃げることのできない決定的な審判の宣告。主は、その日「主のことばを聞くことのききん」(8章11節)を送ります。その日(主の日)には、神のことばを求めてさまよい歩いても、もはや神からの啓示はなく、人は神のことばを理解する力を失っていて、その魂は満たされないのです。
【4】 慰めと回復の使信(9章11〜15節)
アモスは未来の希望でこの書を締めくくります。それは忠実な残りの者に対する慰めと回復の使信です。ダビデ王国が再建され、この世の終わりにメシアが来てダビデの位に座し、全地の王となること。神の祝福の回復、神とその民との契約関係の再確立が示されます。
【信仰告白】