ダニエル書は、ダニエルによって記されました。ダニエルは、バビロニアによる南ユダ王国の滅亡(紀元前586年、エルサレム陥落)前に、すでに第一次捕囚の民としてバビロンに連れ去られていました(紀元前605年頃)。ですから、ダニエル書はバビロン捕囚期に、捕囚先のバビロンで記されたものであり、その内容はダニエル(とその友人たち)が捕囚先のバビロンで経験した歴史的な出来事(1〜6章)と、神様がダニエルに与えられたいくつかの幻(7〜12章)に大別することができます。
また、ダニエル書の特徴として、原文の一部に当時の公用語であったアラム語が用いられていることがあげられます(2章4節後半〜7章28節)。このことは、ダニエルが生きた時代と当時の世界情勢がどのようなものであったかを示すとともに、その内容から、異教の国々、地上の王たちに対する特別な使信としてもとらえることができるでしょう。
ダニエル書(特に1〜6章)では、異教社会のなかで信仰者がどのように歩むべきであるのか、そして、神様はそのような信仰者をどのように守られるのかが教えられます。また、後半7〜12章のいくつかの幻については、様々に解釈する立場がありますが、細部の解釈にとらわれるよりも、「まことの主権者である神の約束は必ず成就する」ということに心を向けるべきです。そして、この神の絶対的な主権と支配を信頼し、世俗の権威や迫害に打ち負かされず、信仰に立ち続ける者に、神様は最終的な勝利(救い)を与えてくださるということこそ、このダニエル書全体を通して示されるメッセージであると言えるでしょう。
1章の冒頭には、ダニエルが捕囚の民としてバビロンに連れ去られた時代背景とともに、ダニエル(とその友人たち)が受けた教育について記されています。ダニエルが捕囚の民となったことも、バビロンの教育を受けることになったのも、国と王の権力によるものと思われますが、すべては神様の主権のなかでの導きでした。そして、ダニエルと友人たちは、食事において神を信じる者としての信仰的態度を明確に示します。主もまた彼らを祝福し、他に並ぶ者がいないほどの知恵と知識を授けられました。
■ 黙想の視点 ■
1. ユダヤ人が捕囚の民としてバビロンに連れ去られることを許された主の御思いを黙想してみましょう。
2. まだ少年だったダニエルとその友人たちが、はっきりと信仰的態度を示すことができた理由は何だと思いますか。
3. ダニエルと友人たちに丈夫な身体、知識と知恵を授けられた主はどのようなお方でしょうか。
2章には、ネブカデネザル王の見た夢とダニエルによる解き明かしが記されています。自分の見た夢に対する不安と恐れで心騒ぐ王に対して、ダニエルは知恵と配慮をもって対応し、また友人たちとともに祈り求めました。神様は祈りに答え、ダニエルに夢の秘密を掲示されます。王はひれ伏し、ダニエルを高い位につけ、すばらしい贈り物を与えますが、ダニエルはすべてを明らかにしてくださった主をほめたたえ、主にすべての栄光を帰しています。
■ 黙想の視点 ■
1. 私たちは、自分の心が騒ぐときに、どのようにして平安を得るべきでしょうか。
2. すべての栄光を主に帰するダニエルの姿から教えられることは何でしょうか。
3. 夢とその解き明かしを通して、主はネブカデネザル王に何を悟らせようとしたのでしょうか。