第49日曜 エゼキエル書46章〜48章



【祈り】

[1] 主の祈り

【聖書通読のたすけ】

【46章】

 引き続き、エゼキエルに示された幻について記されています。特に前章より、新しい神殿における儀式の規定について述べられています。具体的には、君主がささげる礼拝とささげ物の規定、また民がささげる礼拝とささげ物の規定、さらに相続の規定、ささげ物を調理する料理場所について、などです。
■ 黙想の視点 ■
1. 礼拝とささげ物について、主が私たちに願い、また求めておられることはどのようなことでしょうか。
2. 「朝ごと」にささげるささげ物についての規定から、私たちが教えられることは何でしょうか。
3. 聖なるものと俗なるものとを区別される主の御心を黙想し、私たちの日頃の歩みを振り返ってみましょう。

【47章】

 エゼキエルは、最後の幻を見るために、最初に連れてこられた神殿の入口である外庭の東門に戻されます。そこで、神殿の敷居の下から東の方へと流れ出る水を見ました。その水はしだいに水かさを増して川となり、その川の流れて行く所では、どこでも木々が茂り、果樹が生長し、あらゆる生物が生きるのです。また後半は、イスラエルの十二部族に割り当てられる相続地の境界について記されています。
■ 黙想の視点 ■
1. 主が与えてくださる祝福と恵みとは、どのようなものでしょうか。
2. 聖所から流れ出る水が、すべてのものにいのちを与えることを覚えるときに、私たちが日々、祈り求めていくべきものは何でしょうか。
3. 当時のイスラエルの民の置かれていた状態(敗戦、捕囚)を覚えるとき、具体的な相続地の割り当て(境界)を約束してくださる主は、どのようなお方でしょうか。

【48章】

 まず、47章の後半で境界が定められた相続地の分割と規定が記されています。十二部族が聖所を中心に平等の相続地を与えられ、一つのイスラエルとして回復されることが約束されています。そして最後に、新しい都の名が「主はここにおられる」であることを記します。これは、インマヌエルと同様に、永遠に変わることのない主の臨在を示し、主が確かに約束を成就してくださるお方であることを教えています。
■ 黙想の視点 ■
1. 相続地の中央には、主の聖所がありました。私たちが常に主を中心として歩んでいくために必要なことは何でしょうか。
2. 「主はここにおられる」とその臨在を現し、確かな回復を与えてくださる主に、信仰をもって祈っていくべきことはありませんか。
3. 主から様々な幻(啓示)を与えられたエゼキエルの信仰と従順な姿勢について考えてみましょう。


【信仰告白】

[2] 使徒信条