今、彼らにその淫行や王たちの死体をわたしから遠く取り除かせなければならない。わたしは永遠に彼らの中に住もう。
- エゼキエル書43章9節 -
神は、エゼキエルを、本堂、外庭へ連れて行かれた後に、東の門に連れて行かれました(43章1節)。すると、主の栄光が東の方から現れたのです。それは、かつて幻のなかでエルサレムに連れて行かれて見た幻のようであり、ケバル川のほとりで見た幻のようでもありました。かつて主の霊は神殿から東の方に去って行かれたけれども、今回の幻は、再び主が神殿に戻られ、ご臨在される幻でした。「主の栄光は神殿に満ちていた」(43章5節)。
私たちが最も求めるべきは、この神のご臨在です。主はかつて、不信仰と偶像礼拝によってイスラエルから離れ去られました。しかし、主が再び神殿にご臨在されるという幻は、神との回復を意味します。この幻は、エゼキエルをどれほど元気づけたでしょうか。
さらに主は、こう言われます。「わたしは永遠に彼らの中に住もう」(43章9節)。つまり、完全なる主の栄光を仰ぎ見るときが来るのです。
しかし、そのためには、取り除かなければならないものがありました。それは主の聖なる御名を汚すものです。今日の箇所では「淫行や王たちの死体をわたしから遠く取り除かせなければならない」(43章9節)と言われています。
ここで私たちが問われるのは、私たちが主の前に、取り除くべきものはないか、ということです。神の前で、二心になっていないだろうか。神様とお金を両天秤にかけていないだろうか。名声や異性、その他ありとあらゆるものを、主との天秤にかけていないだろうか。うすうす自分でも気づいているのに見ないようにしている罪はないか。罪は神と私たちの間にあって大きな壁となります。そして取り除かれる必要のあるものです。今、それに気づいたなら、主のもとにそれを持っていく必要があります。
「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます」(第一ヨハネ1章9節)
さあ、今、私たちの心を探ってみましょう。そして、主に、永遠に私たちのなかに住んでいただきたいと思います。