聖書全体を見て、私たちは何を感じるでしょうか? そう質問すると、多くの答えが返ってくるでしょう。私は、最も重要なものの一つとして、人を救おうとする神の熱心があると思っています。
本日の箇所を見ると、真実の預言者と偽預言者、本当の羊飼いと偽の羊飼い、神の羊と違う羊があることを、改めて感じます。私たちは、神の声に反応するものでありたいと思います。
主は預言者に言われます。もし、悪者の咎に対して警告しないのなら、その悪者は自分の咎のゆえに死ぬ。さらに、主はその血の責任を預言者自身に問う、と言われるのです(33章2〜9節)。
預言者は、この神のことばのゆえに、悔い改めを説き、誠実に神のことばを語り続けるよう求められ、多くの王に遣わされました。そして、預言者は為政者を恐れずに大胆に語り続けました。罪を悔い改め、神に立ち返るようにです。しかし、預言者の声を聞かないのが人間でした。
バビロンに滅ぼされた廃墟のなかで、「さあ、どんなことばが主から出るか聞きに行こう」(33章30節)と民は言います。しかし、彼らは、よく当たるお告げを聞きに来るだけ、自分の利益を考えるだけでした。この民にとって預言者の声は、聞き従うために聞くものではなく、自分の利益を求める一つの手段でしかありませんでした。それでも主の預言者は、民にさばきと回復を語るのです。
「しかし、あのことは起こり、もう来ている。彼らは、自分たちの間にひとりの預言者がいたことを知ろう」(33章33節)
次に悪い牧者のことが語られます。それはイスラエルの民を搾取し、自らを肥やした指導者たちの姿です。それに対し、主は、「わたしは自分でわたしの羊を捜し出し、これの世話をする」(34章11節)、「正しいさばきをもって彼らを養う」(34章16節)と言われるのです。
主は、主の民と主の民以外との間(34章17節)をさばくとも語られています。そしてご自身の羊に、主はこう言われるのです。
「あなたがたはわたしの羊、わたしの牧場の羊である。あなたがたは人で、わたしはあなたがたの神である。──神である主の御告げ──」(34章31節)
旧約聖書を読むと、主はご自分の民を救うためにたくさんの預言者を送られました。そして、それでも主に聞き従わない民にはさばきを下され、その後、ご自身の御子であるイエス・キリストを良い羊飼いとしてこの地上に送られました。そして、ご自身の民を呼び出し、探し出してくださったのです。これは、ただただ主の熱心によることです。
私たちは、偽預言者、偽の羊飼いではなく、このイエス・キリストという真の羊飼いの声に従ってゆく者でありたいと思います。今日も私たちは御霊によって、主のみことばに聞き従いつつ歩んで行きましょう。