ここから32章までは、エジプトに対するさばきが語られる。エジプトへのさばきがこのように長きにわたって記されるのは、エジプトが大国であり、なおかつイスラエルに大きな影響を与えていたからである。
29章1〜16節は、エジプトに対するさばきの「導入」部分に相当し、ツロが沈没寸前の船にたとえられたのと同様に、エジプトの王パロ(ファラオ)が「わに」にたとえられている。エジプトを代表するナイル河に横たわる大きな「わに」は、「川は私のもの。私がこれを造った」と豪語する。しかし、この「わに」は捕らえられ、神のさばきが及び、地が荒れ果てて廃墟となる。それに至るプロセスとして17節からは、ツロを攻撃したバビロン軍が南下し、やがてエジプトを陥落させることが語られる。
「主の日」は聖書の中にしばしば登場してくるが、神が何か特別な働きを成すときに使われる表現である。本章においては、それが主のさばきの日であり、主がバビロンの王ネブカデネザルを用いてエジプトをさばく日であることを定めている。そしてこの日は「エジプトの日」(9節)としても表現されている。この主のさばきは徹底的なものであり、エジプトの住民は「神が主であることを知る」ようになる。
20節以降は、神がバビロンの王の腕を強くする一方で、パロの腕が折られる様子が描かれている。