前章までは、南王国ユダが犯す罪の告訴とそのさばきが、警告と予告というかたちで語られてきたが、本章に入ると、いよいよさばきが現実のものとなることが、さびた鍋のたとえで示される。鍋は主のさばきの場を表し、さびはエルサレムの流血と不道徳を、そしてその中に入れられる肉はエルサレムの住民を表す。
15節からは、エゼキエルの妻の死とエルサレムへの主のさばきが重ね合わせて語られる。妻を失ったエゼキエルは、悲しみの表現をしないように神から告げられるが、その「普通では考えられない」姿を見て、エルサレムの人々はエゼキエルにその行動の意味の説明を求める。そこで主が答えるのだが、その答えとはエルサレムに対する徹底的な主のさばきの宣告であった。愛する者を失うその苦しみを味わうのはエゼキエルだけではない、と。
ここまで南王国ユダに対するさばきの宣告を見てきたが、いよいよ本章からは国々に対する主のさばきが記されている。近隣諸国へのさばきは本章、ツロとシドンへのさばきは26〜28章、そしてエジプトに対するさばきが29〜32章である。
25章1〜7節では、アモンに対するさばき。そのさばきの根拠は、イスラエルの民が災いに遭っているときにあざけって喜んだことにある(3・6節)。
8〜14節までは、モアブとエドムに対するさばき。そのさばきの根拠は、「見よ、ユダの家は異邦の民と変わらない」(8節)と言ったこと。
15〜17節には、ペリシテに対するさばき。そのさばきの根拠は、イスラエルに対して復讐を企て、敵意をもって滅ぼそうとしたことにある。
26章1節〜28章19節がツロに対する、そして28章20〜26節がシドンに対するさばき。この両国は地中海沿岸フェニキア地方の都市国家で、交易で非常に栄えた。
ツロに対する主のさばきは徹底的なものであった。そのさばきの根拠は、2節で説明されている。「人の子よ。ツロはエルサレムについて、『あはは。国々の民の門はこわされ、私に明け渡された。私は豊かになり、エルサレムは廃墟となった』と言ってあざけった」と。