第47水曜 エゼキエル書23章



【祈り】

[1] 主の祈り

【聖書通読のたすけ】

【23章】

 淫行の限りを繰り返す2人の姉妹を登場させて、サマリヤ(北王国イスラエルの首都)とエルサレム(南王国ユダの首都)がいかに罪深いかを述べる。以下、本章に記されていることを簡潔にまとめたいと思う。
■ 姉オホラ(サマリヤ):
  アッシリヤ人とエジプト人により身を汚す(偶像で身を汚す)。→ 神はアッシリヤの手に渡す。
■ 妹オホリバ(エルサレム):
  アッシリヤ人とバビロン人により身を汚す。→ 神は四方から諸国を攻めよこす。
 彼女たちは諸外国の下で殺され、家々は焼き払われる。そして、神はみだらな行いをやめさせる。「あなたがたは、わたしが神、主であることを知ろう」の一言で締めくくられている。この表現は、エゼキエル書のキーワードの一つである。神の恵みが言い渡されたとき、また今回のようにさばきが宣告された直後に、数多く登場してくる言葉だ。
 広い視野に立ってもう一度本書を眺めることにするが、バビロン捕囚下にあって神がエゼキエルをとおして伝えようとする最大のメッセージは、イスラエルの民が「神が主であることを知」って、悪を離れて神に立ち返ることである。この視点に立ってこの言葉に注目し、出てくるたびに線を引きながら読み進めていただきたいと思う。


【信仰告白】

[2] 使徒信条