第47月曜 エゼキエル書19章〜20章



【祈り】

[1] 主の祈り

【聖書通読のたすけ】

【19章】

 イスラエルの君主たちの姿を悲しむ歌、2つの哀歌が記されている。
 最初の哀歌(1〜9節)のモチーフは獅子。「母である獅子」は南王国ユダを表し、「子獅子」はユダの王たちを表していると思われる。
 獅子の悲惨な姿を悲しむ哀歌の次に、ぶどうの木のたとえを用いた哀歌(10〜14節)が歌われている。「ぶどうの木」は、神が選んだイスラエル王国を表し、かつては豊かな水が流れる約束の地に植えられた。しかし、神の契約への背信のゆえに、「荒野と砂漠と、潤いのない地」バビロンへと移されてゆく。この姿を嘆く哀歌が悲しく響く。

【20章】

 「第7年」とは紀元前591年で、バビロン軍によってエルサレムが陥落する数年前のことである。イスラエルの長老たちの幾人かが主に尋ね求めた。それに対する神の応答が本章である。
 まず、エジプトの奴隷状態から解放されたところから始まり、荒野を歩むなかで、乳と蜜が流れる約束の地に導き入れ、その後どの時代においてもイスラエルは深刻な背信行為を行い続けてきたことが語られている。それは偶像礼拝であり、おきてと定めに逆らう行為や安息日を汚す行い、霊的な姦淫などなど・・・。「不信に不信を重ね、わたしを冒涜した」(27節)歴史だった。
 しかし、それでも回復のときが来ることが語られる。イスラエルのささげものを喜んで受け入れられる神の姿、関係が回復した姿が、33節から後半へと続く。


【信仰告白】

[2] 使徒信条