エルサレムがバビロンの王ネブガデレザルの手によって陥落した後、エレミヤは捕囚の民として連れて行かれたラマで釈放されます。釈放されたエレミヤは自由を得て、ミツパに下り、総督に就任したゲダルヤと残された民とともに歩みます。その後、ダビデの血統であり王族の一人であるイシュマエルは、総督に立てられたケダルヤに謀反を起こし、ケダルヤとその部下たちを殺してしまいます。ケダルヤの殺害を聞いた将校の一人で、ケダルヤにイシュマエルの暗殺計画を忠告したヨハナンはイシュマエルを追い詰め、捕虜を奪還しますが、カルデヤ人たちの報復を恐れて、今後の導きを知るために預言者エレミヤに神の啓示を求めました。
神からの言葉を預かり、それを大胆に語り終えたエレミヤは、その後釈放され、自由の身になります。バビロンに移住することも祖国に留まることも許されたエレミヤは、残されたイスラエルの民のなかに住むことを決断します。バビロンでの地位と生活が保証されているなかで、あえてエレミヤは廃れた祖国の土地で歩むことを決断します。その決断のうちにエレミヤの祖国に対する熱い思いを感じます。祖国を愛し、人々が神に立ち返るために、厳しい神の言葉を語り続けたエレミヤの信仰の原点がここにあるのではないでしょうか。
私たちは人々が神に立ち返るために、苦難の道をもともに歩む心備えがあるでしょうか。自分の生活の保障や、自分の人生の計画よりも、主なる神が私たちに備えている計画が最善であることを信じているでしょうか。
総督に就任したケダルヤは、将校であったヨハナンの忠告を聞かずに、イシュマエルの謀反に巻き込まれていきます。ケダルヤに与えられていた使命は、集まったユダヤ人たちと一緒に祖国を再建することでした。ケダルヤは、ヨハナンの忠告を聞いたときに、神の人エレミヤに助言を求めるべきでしたが、そうはしませんでした。謀反を起こしたイシュマエルも、神の御心を行うのではなく、モアブ人の王と同盟を組み、自分の願望を達成するためだけに動いていたことがわかります。
ここから私たちは、信仰から出ていないことはすべて失敗に終わることを教えられます。私たちは、どのようなときも常に神の御心がなされるようにと祈り、また御心が何であるのかを知るために、御言葉を求めて生きる姿勢をもたなければなりません。
イシュマエルを追い詰めたヨハナンは、今後の導きのためにようやく預言者に導きを祈り求め、神の御心を求めます。そして、彼らは「主が私たちの間で真実な確かな証人でありますように。私たちは、すべてあなたの神、主が私たちのためにあなたを送って告げられる言葉のとおりに、必ず行ないます」と告白したにもかかわらず、いざ主の御心があらわされると、目の前の状況に振り回され、神の御心を行う決心から離れてしまいました。
私たちも、主の御心を行いたいと告白しつつ、いざ目の前の状況の困難を体験すると、恐れや不安が生じてきます。しかし、そのようなときにこそ、主の言葉をしっかりと握り締め、私たちを愛し、あわれんでくださる方を信頼して歩んでいきたいと思います。