この章は時系列的には37章〜38章の後の出来事です。エレミヤはユダの王セデキヤによって監視の庭という場所に監禁されていました。それは、バビロンの軍勢がエルサレムを包囲するなかで、セデキヤ王をはじめエルサレムがバビロンの手に渡ることを預言したからです。しかし、同時に神は、エレミヤにアナトテの地を買うことを告げ、土地の証書を大切に保存するように命じられます。それは、やがて捕囚の時代が終わり、再び土地を買い戻す時代が来ることを告げ知らせるためでした。
セデキヤ王は国家の危機の状況にあって、エレミヤに語られた神の言葉を受け取ることができませんでした。自国の民が生きるか死ぬかという政治的な判断のなかで、立てられた王としての判断を迫られますが結果的にエレミヤに語られた言葉を受け取らず、エレミヤを監禁したのです。
私たちは目の前の状況に左右されることが多くあります。しかし、まず主の御心が何であるのかをよく求める必要があります。たとえ、示されたことが自分の計画や思いとは違っていても、神が語られることを信頼して受け入れ従う心が求められます。
セデキヤ王とは対象に、エレミヤは主が語られたことを忠実に行いました。エレミヤにとってアナトテの土地を買うことは決して益になることではありません。すでにバビロンによって国が敗北しようとしているなかで、たとえ地代を払って権利を得たとしても、その権利が有効になる保障はどこにもないからです。しかし、エレミヤはこれを神からの言葉として受け取りました。それは必ず神の言葉は成就するという、エレミヤの信仰の応答でした。
私たちは主から示されていることで、その応答をしていないことはないでしょうか。エレミヤのように、目の前の状況が見えないときであっても、「あなたには何一つできないことはありません」と、信仰をもって応答していきませんか。
エレミヤに主の言葉が語られたのは、彼が監視の庭で監禁されていたときでした。エルサレムが敵軍に包囲され、すぐにでもカルデヤ人の手に落ちようとしているときでした。そのようななかで、主なる神は、エレミヤに契約の回復のビジョンを与え、ダビデの子孫からメシヤが誕生するという約束を必ず成就することを語られました。
厳しい状況にあるときにこそ、私たちは神が与えてくださる約束と計画をしっかりと握りしめて歩んでいく必要があります。厳しい状況のなかで不平不満だけをあらわしていないでしょうか。困難な状況にあるときにこそ、しっかりと神の約束を握って前進していきたいと思います。