エレミヤの時代は政治的に不安定な時代でした。大国バビロンの勢力を前に、国が滅びるのも時間の問題という状況が続いていました。人々は疲れ、恐れ、新しい変化を望みました。多くの偽預言者たちが偽りの預言をし、バビロンに滅ぼされはしないと人々に偽りの希望を吹聴していました。しかし、預言者エレミヤは、神が語られたことを忠実に人々に告げました。その預言の内容は、決して人々が聞きたいと思う内容ではありませんでした。
エレミヤは預言者として神が語られたことを人々に語りました。それは、人々が聞きたい内容ではありませんでしたが、唯一彼らが生きる道でした。神が語られることは、私たちが望むことと一致しているとは限りません。ときに厳しい言葉を通して、私たちを戒め、私たちを悔い改めに導かれる方です。
私たちは私たちが聞きやすい言葉だけを受け入れていないでしょうか。神様が私たちに厳しい言葉を与えられるのは、私たちがその言葉によって生かされるためです。自分の思いや、肉的な思いを御言葉よりも優先するのではなく、まず神が私たちに何を語られているのか、耳を傾け、求めていきたいと思います。
預言者ハナヌヤは、エレミヤの首につけられていたバビロン降伏の象徴の首かせを砕き、2年のうちに捕囚の民が解放されるという偽りの預言をしました。神は偽りの預言をしたハナヌヤに宣告を下し、いのちをとられます。神は偽りの預言をする者を忌みきらわれ裁かれます。神が語っていないことを語ることは、民全体に偽りの希望を持たせることになるからです。
私たちは安易な希望に惑わされてはいないでしょうか。本当の希望は、私たちの目の前の状況が良くなるということではなく、どのような状況においてもインマヌエルなる神が私たちとともにおられ、困難のうちにも神の主権が変わらないことを見出すことです。安易な希望に私たちが生きるとするなら、状況が改善されなければ失望することになるでしょう。神が語られる言葉に耳を傾け、神御自身に希望を見出す人は、どのような状況においても希望を失うことはありません。
最悪な状況にあっても決して変わることのない神の主権を信じていたからこそ、預言者エレミヤは大胆に主の言葉を語ることができました。エレミヤは神が私たちのために立てている計画が何よりもすばらしいものだという確信をもっていました。この前提がなければ、目の前の状況に簡単に左右され平安を失ってしまうでしょう。
神は、召された者たちを守り、最善を備えてくださるのです。どのような状況にあっても、神との関係と神への信頼を失わないようにしたいものです。父なる神は私たちに最善を備えてくださいます。たとえ困難な状況にあっても、神は主権をもって私たちの人生の舵をとってくださるのです。