章の数で言えば、今日でエレミヤ書の半分を読んだ事になります。ここでは、世界大の裁きという大スケールの内容です。第1回の「バビロン捕囚」が実現するまで1年という時期の預言ですが、その捕囚のなかにいたダニエルが、エレミヤの預言した「70年」を読んで回復を祈ることになります(ダニエル9章)。実際、この預言は成就します。ただし、本章の時点では、70年後の帰還の希望よりも、70年という「刑期」の重さのほうが前面でしょう。それでも、ここに至るまでも、「23年間」(25章3節)も忍耐深く、主は悔い改めを呼びかけてこられたのです。
イスラエルだけでなく、周囲の国々も、この主の裁きの前に立たされます。今日の私たちも、現代の諸国家も、これを思い、深くへりくだらなければなりません。
26章では、新王が即位したばかりの祝賀ムードの真っ直中で、悔い改めと滅びを語ったエレミヤが、たちまち捕らえられてしまいます。それでも、恐れることなく大胆に語るエレミヤです。20〜23節に差し挟まれる預言者ウリヤの殉教は、エレミヤの時代の逆風と、彼が殺されなかったことの不思議さとを引き立てます。
それにしても、このエレミヤの堂々たる姿は!!
12章で叱咤された臆病者は、確かに鍛えられ、勇者として成長していました。人に裏切られ、嘲笑され、涙し、主に激しく訴え、ボロボロになったエレミヤ。自分の弱さを知っているエレミヤだからこそ、彼は主のみことばのみを信頼し、強められ、恐れぬものとされたのでしょう。
神様が、私たちをも強くしてくださって、恐れなくてもいいものを恐れることから解き放ってくださることを願わされます。