63章1〜6節では、シオンの敵の代表であるエドムの滅亡が述べられている。血の酒ぶねを踏んで血のしたたりが降りかかった衣を着た人物に、「誰か」と預言者が尋ねると、その人物は神ご自身であることを明らかにする。「酒ぶねを踏む」とは、主のさばきを表わしているようである。
そして63章7節から64章にかけては、神への嘆願と感謝の祈りである。主の恵みが、それまでの働きかけのなかにあらわされていることを覚え賛美している。主に対する反逆のゆえに多くの苦しみにあってきたことは確かであるが、「どこにおられるのか」と助けを主に求めたことは正しい。
63章15節からは、(おそらくは)預言者による嘆願の祈りである。過去の神のあわれみを思い起こしつつ、贖い主である主に、とりなしの祈りをしている。64章もその祈りの続きであり、イスラエルの霊的な無感覚に痛みを覚えつつ、その不信の民のなかに自らを置いてとりなし続けている。