苦難のしもべの死を通して新しく生み出された民は、神の呼びかけによって目覚めさせられる。
54章では、神と民との関係が夫と妻との関係にたとえられ、夫なる神に捨てられていたようであったイスラエルであったが、しかし決してその関係が切られていたわけではなかったことが語られている。特に2〜3節は、不可能を可能とする神への信頼が強く訴えられ、近代海外宣教の父と呼ばれるウィリアム・ケアリもインドへの新しい歩みを始める際に引用した箇所であった。
苦難のしもべの代償的死(53章)を通し、イスラエルの救いが確かにされたわけだが(54章)、続く55章ではその恵みにあずかるようにとの招きが語られる。本当には満たすことのできない偽の糧にだまされることなく、「いのちのパン」を求めて来るようにとの勧めがなされている。それは私たち人間の目から見たならば理解し難いこともあるかもしれないが、主の思いはそれをはるかに越えているのである(8節)。
次いで56章では、救いの全世界的な広がりが描かれる。外国人であっても、主に連なるならば、イスラエル人にも優って祝福を受けることが可能なのである。それに対し、神の民と呼ばれながらも罪を犯し続けている預言者や指導者たちが厳しく批判されている。