ここでは、バビロンの破滅と、それに伴うイスラエルの解放が描かれている。
47章では、40章から続く終末的な神の働きかけが表されている。神はイスラエルの民を、残虐なバビロンの手に渡すことによって懲らしめを与えた。つまりバビロンは神の道具として使われたのだった。それゆえ懲らしめという目的が果たされると、イスラエルの光栄が回復され、逆に神の敵であるバビロンは罰せられる。自らを神と等しいものとするほど奢り高ぶったバビロンに対し、得意の星占いに頼ってみよという皮肉な励ましを与えることで、その破滅の状態が記されている。
48章では、イスラエルに対する「聞け」という言葉で始まっている。「ヤコブの家よ」と呼びかけることによって、イスラエルが陥っている肉的な性質を表わし、彼らの不義と偽善を責め立てている。そして3節から6節にかけて、預言の何たるかが語られている。「先に起こった事」(3節)はおそらく出エジプトのことを指しており、その出来事をモーセにあらかじめ告げていたにもかかわらず、それを信じなかったイスラエルの頑なさが指摘されている。それは、第二の出エジプトとも言える、エルサレムの陥落と捕囚、バビロンの破滅とそこからの解放の預言を聞いても信じず、それが起こったときには「偶像」に栄光が帰されるであろうことが言われる。イスラエルの頑なさが問題にされている。