前日の39章と、今日の40章の間には、ひとつの区切り(*注)があります。前日の39章の最後は、バビロン捕囚に関する預言で終わっていましたが、今日の箇所は、そのバビロン捕囚後のイスラエルに対する「慰めのメッセージ」で始まっています。
注) これは第二イザヤ仮説を支持するものではなく、捕囚前にイザヤが主から与えられた、捕囚後のイスラエルに関する預言です。
「慰めよ。慰めよ。わたしの民を」とあなたがたの神は仰せられる。
(40章1節)
あなたは疲れていますか? イスラエルの民もこのとき疲れていました。故郷を離れ、長い年月、遠い異国のバビロンで苦役を課せられ、捕囚の民として生活してきました。
主は、そんな彼らに、やさしく語られます。
エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その労苦は終わり、その咎は償われた。そのすべての罪に引き替え、二倍のものを主の手から受けたと。
(40章2節)
イスラエルは2つの大国に翻弄されてきました。アッシリヤによって北イスラエル王国が滅ぼされ、バビロンによって南ユダ王国が滅ぼされてしまいました。ダビデ王朝の陥落とエルサレムの陥落は、彼らに計り知れない絶望をもたらし、なかには歴史をつかさどる主を疑う者もいました。私たちにもそんなときがあります。神が沈黙し、敵ばかりが栄えているように思われ、ひどい挫折感を味わうのです。しかし、そんななかにあっても大切なのは、主と主の言葉に信頼することなのです。
主のいぶきがその上に吹くと、草は枯れ、花はしぼむ。まことに、民は草だ。
草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。
(40章7〜8節)
イスラエルの民も、アッシリヤやバビロンのような大国でさえも、主の息吹が吹くと枯れてしまう草花のような、はかない存在のです。しかし、神の言葉は「永遠に立つ」のです。
あなたはそのことを信じますか? 信じるとき、あなたにも「新しい力」が与えられます!
しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。
走ってもたゆまず、歩いても疲れない。
(40章31節)
鷲が飛ぶのを見たことがありますか? その姿は雄大です。鷲は必死に羽ばたいて、自分の体重を支えることはしません。大きな翼を広げて、上昇気流に乗るのです。私たちも肩の力を抜き、信仰の翼を広げて、主にすべてをゆだねてみるとき、自分の力ではない新しい力を経験するのです。あなたも思い切って信仰の翼を広げてみませんか? このお方にすべてをゆだねてみませんか?
また主は、疲れ、慰めを必要としている者に、次のようにも語りかけてくださいます。
恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。
わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。
(41章10節)
だから恐れる必要はありません。主はどんな試練が押し寄せてきても、あなたを強め、あなたを助けてくださいます。主は義の右の手であなたをしっかり守り、決して離しません!