22章17節〜24章34節は「知恵のある者のことば」(17節)と呼ばれています。旧約聖書においては、祭司や預言者と並んで、「知恵ある者」(賢人)という職務があったと考えられます。「祭司から律法が、知恵ある者からはかりごとが、預言者からことばが滅びうせることはないはずだから」(エレミヤ18章18節)。祭司は律法を解釈し、預言者は神の御心を宣言し、知恵ある者は日常に関しての実際的助言をしたと考えられます。
聖書学者たちは、22章17節〜24章34節の「知恵のある者のことば」が、ソロモンの時代より古い古代エジプトの知恵文学「アメン・エム・オペの教え」と類似していることを指摘します。箴言が古代エジプトの文学の影響を受けていると推測されます。ソロモンの時代は国際交流が盛んであり、イスラエルにもエジプトの文化が入っていたでしょう。聖書は特別な「神のことば」ですが、他の文化から隔離されて無菌室で純粋培養されたような書物でもないのであって、色々な文化の影響も受けたのです。そのように聖書には他の文学との類似性があります。しかし、その底流に唯一無二の思想が流れていることも確かです。私たちは遥か昔の古代オリエントの時代に思いを馳せつつも、箴言独自の神のメッセージを読み取るという醍醐味を味わうことができるのです。
今日の個所からは、貧しい者への配慮や、富や権力への警戒といったテーマが読み取れるのではないでしょうか。「貧しい者を、彼が貧しいからといって、かすめ取るな。悩む者を門のところで押さえつけるな」(22章22節)。「知恵ある者」は、貧しい者たちに対して優しくし、その社会的権利が守られるように配慮すべきであり、一方、富や権力に安易に惹かれてはならないと言うのです。
日本国際飢餓対策機構というキリスト教系の団体があり、私の奉仕する教会にも毎月、ニュースレターや資料が届きます。「世界食糧デー」(毎年10月16日)のポスターには次のようにありました。
「食料価格高騰で、世界中が揺れた昨年。さらに、金融危機が追い討ちをかけ、飢餓人口8億5千万人が、現在10億人近くまで増えています。豊かな国日本に住む私たちは、飢餓に苦しむ人々と何も関係がないと言えるでしょうか? 世界人口68億分の一の『わたし』かもしれませんが、私たちが何かを始めるときに、その輪が広がり、共に分かち合う世界に変わることを信じ、始めてみませんか」(2009年のポスターより)。
日本にも飢餓問題に取り組む尊い働きに従事したり、支援したりする方々がいます。一方で、同じ日本で、貧しい方々への生活保護を搾取しようとする“貧困ビジネス”が問題になっているこの頃です。貧しい者に配慮せよ、との勧めは、そのような世界や日本にある様々な貧困や飢餓の問題と切り離して読むことはできないのではないでしょうか。もちろん、何もかもはできませんが、世界中で苦しんでいる人々のことを少しでも知り、少しでも行動することを、心掛けたいと思います。