第37日曜 箴言19章〜21章



【祈り】

[1] 主の祈り

【聖書通読のたすけ】

 「箴言」は、8つの収集物から構成されています(山口昇「箴言」『実用聖書注解』670頁)。

  1. 序言(1章1〜7節)
  2. 知恵についての教え(1章8節〜9章18節)
  3. ソロモンの箴言(10章1節〜22章16節)
  4. 知恵ある者の言葉(22章17節〜24章34節)
  5. ヒゼキヤによるソロモンの箴言(25章1節〜29章27節)
  6. アグルの言葉(30章1〜33節)
  7. レムエルの言葉(31章1〜9節)
  8. しっかりした妻(31章10〜31節)

 19〜21章は「ソロモンの箴言」に属します。ここにある箴言が、ソロモンの手によって直接すべて書かれたわけではなく、後世の者が編纂したと考えられます。彼自身の手による箴言も含まれたと考えられますし、彼以前や彼以後の箴言も、ソロモンの名の下に編纂されたのでしょう。

 箴言には、賢い者と愚かな者、勤勉な者と怠け者、正直者と偽善者、といった正反対の人物が登場します。そして、前者は神の祝福を受けて豊かになり、後者は神から罰せられるのだという個所が多くあります。今日の個所においても、ある者たちは祝福を受け、称賛され、またある者たちは厳しく罰せられ、断罪されている箴言が多くあります。たとえば以下のような個所です。
 「怠惰は人を深い眠りに陥らせ、なまけ者は飢える」(19章15節)
 「正しい人が潔白な生活をするときに、彼の子孫はなんと幸いなことだろう」(20章7節)
 「勤勉な人の計画は利益をもたらし、すべてあわてる者は欠損を招くだけだ」(21章5節)
 これらの箴言は一見すると、祝福の道か、罰の道かの二者択一を迫るようにも感じられます。では、これらの箴言は、現代風に言えば“勝ち組”と“負け組”の法則のようなものなのでしょうか。いや、単純にそうは言えないのです。

 箴言の底流には、神がこの宇宙、世界、社会のすべてのものを創造され、支配され、保たれ、導いておられるという信仰的な思想があるのです。その意味で、箴言が説くのは現世利益的な助言というような類ではありません。その証拠に箴言の作者たちは、人間の知恵では、はかり知れないことがあることを認めていました。
 「人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る」(19章21節)
 「主の前では、どんな知恵も英知もはかりごとも、役に立たない」(21章30節)
 また、箴言の作者たちは、富や財産、名誉よりも、重要なものがあることも知っていました。
 「貧しくても、誠実に歩む者は、曲がったことを言う愚かな者にまさる」(19章1節)
 いかに成功や富を得るかが第一義的なことではありません。あくまで重要なのは、すべてを導く神の意志なのです。神の創造、支配、保持を信じて、誠実に生きていくべきであるという生活が勧められているのです。


【信仰告白】

[2] 使徒信条