第36金曜 箴言13章〜15章



【祈り】

[1] 主の祈り

【聖書通読のたすけ】

【13章】

 「なまけ者は欲を起こしても心に何もない。しかし勤勉な者の心は満たされる」(4節)
 信仰者だから努力しなくてもよい、などということは決してありません。犠牲を払わなければ得られない祝福もあるのです。棚から牡丹餅ではありません。
 なまけ者は人一倍欲望だけは大きく、勤勉な人が持っているものを自分も欲しいとは思いますがそれだけで、腰を上げようとはしません。ですから心は空っぽで貧しい生活を送るようになります。しかし勤勉な人は努力を重ね、多くを得るようになり、しだいにその努力が容易になっていき、さらなる祝福へと導かれます。

【14章】

 「知恵ある女」「愚かな女」とありますが、ここで述べられていることは男女の区別なく適用され、人には2つの道があり、そのどちらかを選ばなければならないことが記されています。
 「人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である」(12節)
 まっすぐに見える道は、発見しやすく、多くの人が歩いている道です。それは肉の欲求を満足させてくれる道であり、自分にとって好ましく、歩きやすい道です。しかし、その道は神様の目から見れば曲がった道なのです。その道の行き着くところは滅びです。
 2つの道の分岐点に立ったとき、正しい道、祝福の道、神のみこころの道を選び取るために必要なのは「神からの知恵」です。今日も、主を愛し、主の細い御声に聞き従って歩みましょう。そこにこそ確かないのちの道があります。

【15章】

 知恵ある者と愚かな者は、その口から出る言葉によっても違いが表れます。
 知恵ある人は、感情に任せて言葉を発しますが、知恵ある者は、まず神の前にことばを吟味し(28節)、時にかなったことばを語るのです(23節)。このようなことばは「いのちの木」(4節)であるとあります。これはエデンの園の中央にあり、神様とともに歩む人間が味わう、いのちと祝福を象徴しています。また、ヨハネの黙示録22章2節では、「いのちの木」は救いによって与えられる永遠のいのちの象徴となっています。
 このようなすばらしいことばは、日々、主に知恵を求め、叱責を聞き入れているなかではぐくまれます。そして彼は自分を叱ってくれる人を愛するのです。
 周囲の人々に癒しと、永遠のいのちをもたらす「いのちの木」のようなことばを私たちが語ることができるように、今日も主に整えていただきましょう。
 「主を恐れることは知恵の訓戒である。謙遜は栄誉に先立つ」(33節)


【信仰告白】

[2] 使徒信条