親は子どもの祝福された人生を願って子どもたちを教えます。現代の親たちはどのようなことを子どもに教えているでしょうか。様々なことがあるでしょう。しかし、その教えのなかでも、一番大切なことは「主を恐れること」です。「知恵の初めに、知恵を得よ」(7節)。真の知恵の核となる「主を恐れる」ことが抜け落ちてしまってはなりません。
新約時代に生きる私たちにとって、知恵とはイエス・キリストご自身であり、イエス・キリストに従うことこそ、知恵を愛する生き方です。
性の問題についての知恵が記されています。性の問題とは非常に大きなものです。ですから箴言では繰り返し、この性の問題を取り上げています。
性の問題に対して、私たちは「知恵に心を留め」「英知に耳を傾け」て、正しく対処しなければなりません。
また誘惑にあったときには、罪の結果がどうなるかを見る必要があります。「苦よもぎ」(4節)とは罪がもたらす苦痛の象徴として用いられます。性的な罪を犯した者は激しい苦痛を味わい、その罪の行き着くところは死です(5節)。
ローマ書6章23節にはこうあります。「罪から来る報酬は死です」。はっきりと聖書は宣言します。しかし、続いてこう言われます。「しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです」。なんという慰めでしょうか。イエス・キリストの十字架の前に、この性的な罪を告白し、悔い改める者を、主は受け入れ、赦し、もう一度立たせてくださるのです。この神の愛の前に応答しましょう。
軽率さへの警告が具体的に記されています。気軽に保証人となることへの警告、怠け者とよこしまな者に対する警告、姦淫に対する警告です。
どの罪も、神をほめたたえるために、神とともに歩むために、神が私たちに備えてくださった時間、自分自身、賜物すべてを無駄にするものです。無駄にするどころか、自分自身、社会生活、家庭生活、霊的生活をも滅ぼすものです。
ですから、くどいほどに、聖書は私たちに「知恵を得よ!知恵を得よ!これをあなたの心に結べ!刻め!首のまわりに結べ!」と叫ぶのです。
知恵が「あなたが歩くとき、あなたを導き、あなたが寝るとき、あなたを見守り、あなたが目ざめるとき、あなたに話しかける」(22節)ようになるまで、熱心に祈り求めましょう。