第35土曜 詩篇140篇〜144篇
【祈り】
【聖書通読のたすけ】
「私はあなたのしもべですから」
「ダビデの詩篇」が続きます。特に140〜143篇は内容が似通っており、信仰者の「悪者や罪からの救い」を祈っています。144篇は他の詩篇との共通点が多く、詩篇のメドレーのような歌になっています。
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【140篇】
「セラ」*1 が3回記され、詩篇を4つの部分に分けています。よこしまな者が悪を企んで罠を仕掛けるそのなかで、信仰者は直接神様に申し上げます。「神様のさばきが行われ、直ぐな(正しい)人が、神様の御前に住むことを私は知っています」と。
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【141篇】
「急いでください」「速やかに」(1節)と、緊急の願いを神様にします。それは、信仰者の心が悪に向かず、正しい者の戒めを受け入れ、悪者がさばかれるようにとの緊迫した祈りなのです。
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【142篇】
マスキール*2 であり、祈りである詩篇です。この詩篇は全体を通し、信仰者の叫びに満ちています。「右」(4節*3)とは、主権・力・保護者・弁護人を表しますが、信仰者のそばには誰もいません。それで、声をあげ祈るのです。「御名に感謝することができるように」と。
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【143篇】
「悔い改めの七詩篇」(6・32・38・51・102・130・143篇)の1つです。また「セラ」(6節)も出てきます。全体を通し、信仰者の「霊とたましい」が危機的状況にあります。長く敵と対峙するなかで、自らの信仰が萎えてしまったのでしょう。ゆえに、救いを祈りつつ、悔い改めているのです。
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【144篇】
8・18・33篇との重複が見られます。そのため「詩篇のメドレー」のような歌となっています。全体としては、「ほむべきかな」「たたえよ」(1節)で始まり、「幸いなこと」(15節)の繰り返しで終わる神賛美と告白に包まれた美しい詩篇です。
【注】
*1 へブル語で「上げる」を意味しているが、何を表しているのか、わかっていない。旋律の変化、音楽の休止、演奏者の暗号など、諸説がある。
*2 へブル語で「教示する」の意。教育的な歌とされるが、はっきりと意味はわかっていない。
*3 新共同訳では5節。
【信仰告白】