第31土曜 詩篇26篇〜30篇



【祈り】

[1] 主の祈り

【聖書通読のたすけ】

 詩篇29篇を読みましょう。

 煌く稲妻、天空に轟く雷鳴。強い光と大きな音で雷がすぐ近くに落ちれば、私のような大人の男性でも恐ろしい気持ちになります。現代のような気象学的知識を持っていなかった大昔の人々は、雷や大雨などの自然現象のなかに、人間にはどうすることもできない、神々の力を感じました。日本語でも「カミナリ」(神鳴り)という言葉に「カミ」がついています。
 雷の神様、嵐の神様、雷や嵐を見て、そういう神々を考え、拝んだのは、日本人だけではありませんでした。旧約聖書の時代のイスラエルの周りの国々、カナンの人々の祈りの言葉が発掘されています。

アダド、力強き方、輝く方、卓越する神、
戦慄と恐れを据え、圧倒する方、
稲妻を掲げる方、洪水の主(あるじ)、空と山と海を支配される方。
あなたの名前は栄光に満ち、あなたの仰せは聞き従われる。
あなたの声に山々は喜び、御前に畝は喜び、畑は楽しむ。

 カナンの人々は、天候を支配する神を、バアルやアダドと呼び、豊かな雨と実りを求めて、礼拝していました。今日、片手に雷を持った戦士姿のバアル像がたくさん発掘されています。周りの国々が、このような偶像礼拝を行っているのを見て、イスラエルの人々は言いました。「そうじゃない。天候を支配し、雨を降らせ、雷鳴を響かせるのは、世界の創造主、主なる神だ」
 それが今日の詩篇29篇です。このように神は、人間を、雨と豊かな実りをもって祝福される方です。「主は、平安をもって、ご自身の民を祝福される」(11節)。平安・平和、旧約聖書のシャロームという言葉は、命の充実をも意味します。国民を、恵みの雨と豊かな実りで祝福し、命の充実を与えるのは、主なる神様です。

 旧約時代のイスラエルの人々は、天候を支配し雷鳴を響かせるのは、バアルではない。天候を支配し雷鳴を響かせるのは主である、と歌い、神を賛美・礼拝しました。私たちはどうでしょうか? 現代のような気象学的知識を持っている私たちは、当然バアルが天候を支配しているとは、考えないかもしれません。
 しかし、現代の私たちには、天候を支配しているのが主であるという真理を忘れてしまう危険があるかもしれません。大雨を降らせ雷鳴を響かせるのが主であることを今日、もう一度思い出しましょう。そして今日も、私たちに生活の実りをくださる主を賛美・礼拝・感謝しましょう。「主は、平安をもって、ご自身の民を祝福される」。私たちもこの主に向かって、天における天使たちの声にあわせて、「栄光」と賛美しましょう。この宮で、すべての神の僕たちとともに。


【信仰告白】

[2] 使徒信条