今日は詩篇16篇から教えられたいと思います。
本当の幸せとは何でしょうか? 誰にも奪うことのできない喜びはどこにあるのでしょうか? 限りある幸福や一時的な喜びはたくさんあります。人の人生は旅のようです。出会いがあれば、別れもあります。今日の幸せが明日には奪われてしまうことも、しばしばです。流転する人生のなかで、変わらない幸福や永続する喜びが存在するなら、誰もがそれを手に入れたいと願うはずです。今日の詩篇16篇は、実にその、永遠の喜びのことを私たちに教えています。
ダビデは言いました。「あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにはありません」(2節)
ダビデはイスラエルの王様でした。たくさんの能力に恵まれた人物でした。有能な戦士であり、魅力的な人柄の持ち主でした。多くの詩篇に彼ダビデの名が冠せられているように、音楽の才能にも恵まれていました。王でしたから、いわばイスラエルの国のすべてが彼の所有物でした。しかし、ダビデの喜びは、そのどれでもありませんでした。自分の能力でも、王国の宝でもなく、「私の幸せは、神様です」とダビデは言いました。
また、ダビデの人生は、いつも、神様に守られた人生でした。前の王サウルをはじめ、様々な敵や困難がダビデの人生に襲いかかってきました。身を避けるところは、神のなかにしかなかった。そういう人生でした。流転する人生のなかで、変わらない幸いは神のなかにしかない。そして、神様こそ、私の人生を守ってくださるご主人だ。「あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにはありません」これが、イスラエルの王ダビデの悟りでした。神の守りと愛を知っていたダビデは、神をたたえて言います。「主は、私へのゆずりの地所、また私への杯です。あなたは、私の受ける分を、堅く保っていてくださいます」(5節)。
これは、神との関係ほどすばらしいものは他にない、という2節の真理の言い換えです。ダビデの時代より、さらに昔、モーセの時代。神はイスラエル人をエジプトから救い出し、約束の地・カナンの地を、イスラエル12部族にプレゼントしてくださいました。その時、昔のイスラエル人たちは、神の導きの下、籤によって12部族にカナンの地を分配しました。その出来事をダビデは、ここで精神化して、言っているのです。私への譲りの地は、他の誰がもらった土地よりもすばらしいところだ。
私に当たったプレゼントは、神様ご自身だ! これ以上の相続地はない! 他のどんな場所も、神様との関係には比べられない! 「土地の分配の譬」を用いてダビデは、神との関係の比類ないすばらしさを歌っているのです。どんな土地をもらうよりも、神のなかにこそ、私の幸せはある。私には、あなただ。5節の「あなたは、私の受ける分を、堅く保っていてくださいます」という言葉は、「あなたは、私の運命を、固く保ってくださいます」とも訳すことができます。「あなたは私の人生をちゃんと保護してくださる」そんな「主が、私へのゆずりの地所、私の受ける杯だ」「神こそが、私の幸い!」これがダビデの信仰の悟りでした。