今日は詩篇8篇から聞きたいと思います。
4節に「人とは、何者なのでしょう」とあります。人間とは何か?自分とはどんな存在なのか?誰しもが、人生のなかで一度は問う問いです。あるときは、人間の知恵のすばらしさを思って、また人体の不思議さを知って、このすばらしい人間とは何だろう!と。またあるときは、人として生きて行くことの苦しさを覚えるなかで、人間の無力さや醜さを思って、呟きながら「人間ってなんなんだろう?」と。あるいは、普通の生活のなかで、何の気なしにふと「私って、なんだろう?」と。人とは何者か?その問いに答えるのが今日のダビデの詩です。
中東の夜空は本当に美しいそうです。パレスチナは空気が乾燥していて、夜の天体の美しさは格別だといいます。その天の下なる人間の小ささ、弱さ、醜さを信仰の詩人は思わざるを得なかったのです。仏教思想の影響を受けた私たち東洋の詩歌にも、自然の偉大さに対する人生の小ささを思い、物の哀れを唄うものが多くありますが、詩篇8編は、その一歩先を行きます。信仰の詩篇は天の高きより人の小ささを思い、人の小ささから神の恵みに進むのです。そして、その恵みによって万物の支配者の地位に立たせられている自分の栄光と責任を知るのです。5節にあります「栄光と誉れ」は、旧約聖書のなかで王様に相応しいとされる言葉です。神様は人間を世界の王様とされたのです。神様の造られた被造世界の、地上における神の代理者として、人を置かれたのです。これが詩篇の信仰です。聖書のメッセージです。これは驚くべき福音です。
求道者の方と話していて本当だなあ、と思ったことがありました。「聖書の時代の人はどうだかわからないけど、天文学の発展した時代に生きている私たちは、驚くべき宇宙の大きさを知っている。膨張し続ける宇宙空間があって、そのなかにたくさんの銀河があって、さらに、そのなかにたくさんの星の集まりがあって、その1つが太陽系で、地球なんてやっとそのなかの1つにすぎない。そして、その上の豆粒みたいな人間のために、神が世界を造ったなんて、信じられない! まして、その造り主が、独り子を送るなんて、到底信じられない」
私みたいな小さな存在を、造り主は心に留めてくださる! 私のような弱い者を、神は顧みてくださる! そして、こんな罪人を救いに来てくださる神! 確かにこれは、到底信じられないような恵みなのです。常識では考えられない福音です!
この詩篇8篇は、創世記1章と同じ思想を伝えています。神様は、創世記1章と、この詩篇8篇をとおして、私たちに語りかけています。「あなたは世界の王だ」と。私たちは、すぐに自分を小さく考えてしまいます。しかし神様はこう言うのです。「御言葉を思い出せ、お前は大きな者だ」。夜空を見上げて私たちは自分の小ささを思います。しかし神は言われるのです。「いや、お前のために私はあの月や星々を据えたのだ」