ダビデの歌から始まる150の詩篇がすべて完成したのは、ダビデ王国滅亡の後と考えられています。バビロン捕囚から帰ってきた人々。ソロモンの神殿と比べるならはるかに貧しいが、何とか新しい神殿を建てた人々。ユダヤ教の新しいスタートを切った人々が、昔から大事に礼拝で歌ってきた賛美を集めました。バビロン捕囚から帰ってきた。これからも、神さまを礼拝して行くために。神の言葉に逆らい続け、バビロン捕囚という裁きを受けた自分たち。これからは、神さまの律法にちゃんと従っていくために。彼らは詩篇を集め編集しました。
彼らは詩篇をモーセ五書、創世記、出エジプト記、民数記、申命記の5つの律法の書に合わせて、詩篇を5つの巻に分けて編纂しました。第1巻は1〜41篇。第2巻は42〜72篇。第3巻は73〜89篇。第4巻は90〜106篇。第5巻は107〜150篇。つまり詩篇は律法の道を歩む者の歌としてまとめられたのです。
今回は特に詩篇1篇を扱いたいと思います。
詩篇1篇1節には、3種類の人が登場します。「悪者」「罪人」「あざける者」。これはみな同じ人々のグループを表しています。神様に逆らう者、律法にそむく者、神様と神様に従う人々をあざける者。そういう者たちです。
この時代、エルサレムの人々の心は2つの方向に分かれて向かって行きました。右の一方は、熱心に神様とその律法に従おうとする人々。「正しい者」「義人」(5・6節)。バビロン捕囚の罪を赦された私たち。これからは神の律法を守っていこうという者たち。左の一方は、神とその律法に従わない「悪者」「あざける者」。今さら神の律法だと!神はイスラエルをバビロンから守れなかったじゃないか。神に従ってもしょうがない。律法など守っても無意味だ。という者たち。
時には、「悪者、罪人」の勢力が強くなって、「正しい者、義人」が少数者となる時代もあったようです。そういうなかでも、義人たちのサークルにとどまる者を神は、詩篇1篇をとおして祝福しているのです。「幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人」。自分の立場が悪くなっても、神様の道に立ち続ける人。罪人の誘惑を退け、律法を喜びとする人。そういう人を神は励ましているのです。「お前の道は正しい。お前こそ本当の幸せを選んだ者だ」と。
この第二神殿時代に、御言葉を愛する少数者を祝福された神は、私たち日本の教会のことも祝福しておられます。「あなたたちの数は今、少ないかもしれない。しかし、よくぞ御言葉の道に留まった。あなたたちこそ幸いな者だ」「もうすぐ、お前たちの<時>が来るぞ。お前たちは、約束どおり栄えるのだ」と。「幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、日本の教会。まことに、主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ」と!