ついに、神様がヨブに語りかけられました。ヨブ記の中で神様は、サタンとの会話において登場しました(1〜2章)。この世に神様が直接関わりを持つのを、ヨブ記はこれまで記したことがありません。
さて、あたかも天国にあぐらをかいて、地上に手を伸べてくださらないかに思えた神様ですが、ついにこの38章においてヨブに声を掛けられるのです。神様は、この世界を放っておかれませんでした。この世界で傷つき、苦しみ、悩む人のために、直接の関わりを持たれたのです。
「主はあらしの中からヨブに答え」た。まさに嵐の中に光る、あの稲妻のように、バサバサッと天から地に向かって、声が垂直的に下るのです。
覚えておきたいのは、この地上に関わりを持たなくても良いはずの神が、一人の人間となって、やはり、この世に垂直的に降誕されたことです。垂直的にベツレヘムに実現した、あの馬小屋の出来事から始まった恵みとして、そして十字架の贖いの成就も神殿の幕が上から下の真二つに、垂直に裂かれて、神の御前に進みゆくことが許されるようになったことを、感謝したいものです。
2節はエリフを叱りつける神様の言葉です。クドクドと長いだけで何の新鮮味もない攻撃をヨブにしていたエリフのことを、神が一喝なさるのです。もちろん、エリフに先立って同じ内容の攻撃をした3人の友人たちも、この神の言葉に怯んだことでしょう。「因果応報、勧善懲悪。ベラベラ演説をする小ざかしい、こやつは誰だ!」一喝なさいます。そしてヨブに向かって慰めの言葉をかけるのです。
3節前半「さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ」つまり、「エリフの言葉なんかで意気消沈するな、あんな発言、長々しいだけで、まったく無意味な演説だから気にするな。傷ついたかもしれないけれど、ここから腰を据えて立ち上がれ」そう言うわけです。
そして3節後半「わたしはあなたに尋ねる。私に示せ」そう神様が仰って、残りの箇所が始まるわけです。「私はあなたに尋ねる。神である私があなたに尋ねる。答えられるものなら答えてみなさい」。そう言って4節以降、38〜39章と、畳みかけるようにヨブに問い質します。「神である私が、天地を創造したとき、ヨブよ、お前は一体どこにいたのか。言ってみろ」(4節)。これは大変な質問です。もちろんヨブはまだ存在しません。影も形もありません。
「あなたは知っているか。だれが地球の大きさを『これだ』と定め、だれが測りなわ、メジャーをその上に張って測量したかを」(5節)
地球の創造を終えたとき、全宇宙が喜び叫んだというのです(7節)。それは「人間が住む、そしてヨブ、あなたが住む特別な星が完成したからだ」というのです。神様がこの世界を創造したのは前向き、肯定的な思いからでした。その祝福と肯定のうちに、ヨブもまた一人の被造物として造られたのでした。
天地を創造された神は、陸地と海とを造られました(16節)。海がどうやってできたのか、あのバケツで何万回、何億回汲みだしたって、ちっとも減らないであろう、あの大海がどこから始まったのか、わかるか。
聖書の舞台で雪が降るというのは、非常に珍しいのですが、ごく稀に雪が降り、ひょうが降ることもあったようです(22節)。
さらに天体に目が向けられます。「ヨブよ、夜空を見上げてみなさい」(31〜33節)。すばる、オリオン、牡牛座、あまたの星々を見上げながら、「あなたは天の法令を知っているか」、知るどころじゃない「地にその法則を立てることができるか、実施する力があるか」。
天体に向けた目は、今度はジャングルに向かいます(39節)。いったい、ライオンに誰が食物を与えているのか。誰が養っているのかわかるか。そして数々の動物たちに、食べ物を与えているのは誰かわかるか、お前にそういうことができるのか。
空を飛ぶ鳥たちに餌を与えるのはいったい誰なのか(41節)。
「野生のヤギが、いつ臨月になるのか知っているか」(39章1節)ヨブは非常に賢い男だったようですが、賢いヨブでも知っているはずがありません。これも人間は手の出ない問題です。
古今東西、馬といえば力持ちの代表です。その力は誰が与えたのか、そして誰があのたてがみを付けたのか(19節)。
さて、あちこち視点を移しながら、話しが進められてきました。からすからオリオン座まで、低きから高きまで、縦横無尽に筆が進められました。
そして、一つ一つ神様から問われますと、結局人間は何も知らないということに思い至ります。
現代人は古代人に比べると、いろいろなことがわかってきました。雌鹿の臨月を目撃した人もいるかもしれません。でも謎が減ったのかというと、全然減っておらず、むしろ次から次に謎が増える一方なのです。
物理学一つとってもそうです。「質量同士はなぜ引き合うのか。素粒子はどこまで小さいものがあるか。同電荷同士はなぜ反発しあうのか。異電荷同士はなぜ引き合うのか。波の伝播速度はなぜエネルギーには無関係なのか。運動量はなぜ保存されるのか。エントロピーが極大になるとどんなことが起こるのか。すべての質量が消滅するとどうなるのか」などなど、古代人は知らなかった謎を、現代人は新たに抱えることになっていましました。
ですから本当の科学者は、人間がまったくの無知であることを、謙遜に弁えています。科学の進歩によって、幾つかの謎が解明されることはあっても、そこからまた新たな謎が生まれ、謎の数が減りはしないということを、謙遜に弁えています。
ヨブ自身も、当時の賢者だったようですが、いよいよとなると無知であることを告白せざるを得ない、それが実情でした。神様はそれを口をきわめてヨブに語るのです。