エリフという謎の男が登場します(32章2節)。彼の発言がここから延々37章まで続くのですが、エリフが口を開いた理由は、「ヨブが神よりもむしろ自分自身を義とした」という憤りからです。つまり他の3人と同じ理由です。
「まったく、3人ともだらしがない。こんな天罰が当たったようなみじめになったヨブが、希代の悪人なのは間違いないだろう。もっと徹底的に責め立てて、反論の口を封じさせないとダメじゃないか。3人が束になりながら、ヨブに『申し訳ありませんでした。私が悪うございました』と言わせられないとは、なんてだらしがないんだ」。そう、3人の友人にも怒りを燃やすわけです(3節)。
今までエリフが沈黙をこらえていたのは若かったからです(4〜5節)。一説によれば20代の青年だったのではないかと言われています。今まで発言を控えてきたのは、年配者を立てる一種の敬老精神があったからです。ヨブもエリファズ、ビルダデ、ツォファルも、自分よりずっと年上の長老格だから、自分のような若造がしゃしゃり出るのはおこがましい。そう思って必死に沈黙を守ってきたわけです。
ところが、ヨブが自分の無罪性の主張において頂点まで達し、3人の友人は疲れて完全に沈黙するという状態になったので、「もう黙っちゃおれない」そう思って口を開いたわけです。
大変常識的で、エチケットを心得ている青年のようです(6節)。ただ
思い切って言いました(8〜9節)。「私は若造だから、黙ってきたけれど、もう我慢ができない。年長者が正しいとは言い切れません。失礼を承知であえてしゃしゃり出ます」
「ずいぶんと3人が努力したのは認めるけれど、結局ヨブを打ち負かすことができた者は一人もいないじゃないか。最後の最後まで説得できるのが一人もいないとは、なんてだらしがないんだ。もうあなたたちじゃダメだ。私が言わせてもらう。そう3人の友人に不信任案を突き付けるわけです」(12節)。こうしてエリフが、真打ち登場とばかりに33章以降、ヨブに語りかけるわけです。
しかし言葉数が多いばかりで、結局エリフの主張も、3人の友人たちの主張の焼き直しのようなもので、まったく新鮮味はありません。
エリフは言いました(33章8〜9節)。「ヨブ、確かにあなた言いましたよね。私は聞きましたよ。『私は潔白だ。神様に罪を犯していない』ということをね」
確かにヨブの主張は「私は潔白だ」ということでした。体中の腫物を掻き毟りながら、「こんなヒドイ目にあうほど悪いことはしていない」と、これまで一貫して主張し続けていました。
エリフは、ヨブのその主張に対して、「そこがあなたの間違いだ。あなたの問題はそこにある。あなたの病気はこれだ」と、いわば診断書を書くわけです。そして、この診断書は的確です。
では、それに対する処方箋、どうすればあなたの問題は解かれるか、あなたの病気は癒されるかということですが、その結論はすぐに出ます(33章12節)。これが結論なのです。後に長々続くエリフの言葉は、この一言に凝縮できるのです。「神は人よりも偉大だ」
「偉大な神に、ちっぽけな人間ごときが不満を述べるなど、まったくおこがましい。我々人間は、神様のなさろうとしていることなど、掴み切れないんだ」そう言うのです。だからどんな目にあっても「ハイハイ、これも神様のご計画。ちっぽけな私たち人間にはわかりません」と受け入れなさいということです。
エリフの処方箋、エリフの言っていること。これは間違ってはいません。確かに、その通りです。
でも、いったいエリフはどんな顔をして、ヨブにこれを言っているのでしょう。灰の上に座ったままホームレス同然になってしまったヨブ。子どもたちが死に、妻からは自殺をすすめられ、幸せな家庭が崩壊してしまったヨブ。そして延々と議論をしている間も、体中の痒みと格闘し、茶碗のかけらで血だらけになるまで掻き毟っているヨブ。
こんな心身ともに参り切っている、生身の人間であるヨブに向かって、エリフはまるで「教科書にこう書いてあるじゃないか」と言わんばかりの正論をもって、ヨブに切りかかるわけです。
この議論の場をイメージしてみると、主張の善し悪し以前に、愛がない、コンピューターではじき出した答えをぶつけるような、冷たいものを感じずにはおれません。