引き続き、ヨブは神様に「嘆き叫びの祈り」を祈ります。
18〜22節から、ヨブの信仰状態・精神状況をうかがえます。このときのヨブは、暗黒の世界への恐怖を抱くよりも、それを静かに無感動に見つめているように思えます。ヨブのたましいそのものが、よみのように暗く低くなっているのかもしれません。
ヨブの「嘆き叫びの祈り」を聞いていた3人目の友人、ナアマ人ツォファルが、口を開きました。
ツォファルは、ヨブの祈りのうちの、「私の主張は純粋だ。あなたの目にも、きよい」という言葉を聞いて、その考えは間違っているとストレートに指摘します。
しかしヨブは、自分にまったく罪がないと主張していたわけではなく、罪を認めつつも、信頼してやまない神様がその罪のためにこんな苦難・試練を与えられるとはどうしても信じられなかったのです。
ツォファルも、ヨブの問題をわからず、正論を語り、的外れな非難をしていました。
ヨブは、3人の友人に対して「あなたがたは人だ」と指摘します。すなわち、彼らの知恵が人間の知恵に過ぎないこと、人間とともに死に絶える知恵であることを指摘したのです。このときのヨブにとって、人の知恵は、少しも問題の解決にはならなかったのです。
確かに、私たちは人の言葉や知恵で助けられることもありますし、励まされることもあります。しかし、ときに傷つくこともあれば、失望を覚えることもあります。人間の言葉や知恵には限界があります。しかし、神様のことばと知恵は、人を生かす力があり、人を変える力があります。私たちは、その言葉と知恵に支えられる必要があるでしょう。