ヨブは、友人に対しての答えから、神様に対して、神様に目を向けて答えています。神様に目を向けて「嘆き訴え」ています。
ヨブの嘆き訴えで注目すべき点は20節の言葉でしょう。「自ら罪を犯したかもしれない。しかし、何の罪を犯したかがわからない」。このような訴えは、忍耐が生じることでしょう。しかし、求め祈り続けるときに、神様は教えてくださるお方であります。
ヨブの友人のひとり、シュアハ人ビルダデが、ヨブに対して意見を述べます。「神様は正義を貫かれる方だから、あなたの子どもたちが罪を犯して、苦難にあったとしても、ヨブが熱心に、かつ純粋な心で神様にあわれみを請うなら、神様はすぐにヨブの家を回復し、繁栄させてくださる」と。
ヨブは、「神様が自然を支配されている」というビルダデの意見に同意します。そのうえで、はっきりと「自分は潔白だ」と訴えます。ただし、「自分自身がわからない」とも告白します。
ヨブは、信仰の迷走状態に陥り、精神的にも深刻な状況を迎えてしまっているように思えます。