エステル記の舞台は、春ののどけさから一転して荒涼たる冬景色へと移っていきます。3章に入ってハマンが登場します。アハシュエロス王は彼を寵愛し、異例な抜擢を行って、今で言う首相の座に昇進させました。そして王はすべての人がハマンにひれ伏すことを命じましたが、一人モルデカイはこれを拒否し、ハマンの激しい怒りを買うことになります。どうしてモルデカイがこのような態度を取ったのか、聖書は明確には語りませんが、「ベニヤミン人キシュの子」(2章5節)すなわちサウル王の子孫であるモルデカイにとって、「アガグ人」であるハマンにひざをかがめてひれ伏すことは、先祖の不信の罪(第一サムエル15章)をもう一度繰り返すことを意味したのかもしれません。
ハマンはモルデカイをひどく憎み、憤りに満たされるようになります。そしてモルデカイのみならず、ユダヤ民族全体を根絶やしにしようと計画します。ユダヤ人抹殺の日を決めるくじを投げ、その日は第12の月の13日に決まります。約1年後です。1年の猶予があることは、ユダヤ人によって不幸中の幸いだったことでしょう。そしてハマンは悪知恵を用いてユダヤ人抹殺の許可を王から巧みに引き出します。ついにユダヤ人皆殺しの詔書が発布され、シュシャンの都はこの法令によって大混乱に陥りました。
ハマンによるユダヤ人虐殺の布告が出ると、モルデカイをはじめ全ユダヤ人のうちに大きな悲しみと断食、泣き声と嘆きとが起こりました。エステルはモルデカイに着物を送って荒布を脱がせ、自分のところへ来させて事情を聞き出そうとしましたが、モルデカイはそれには応じません。おそらく彼は、この危機的状況のなかで、なおさらユダヤ人である自分とエステルとの関係が明かされてしまうことを恐れたのかもしれません。冷静な対応です。そこでエステルは使者を遣わしてその事情を探ることにします。モルデカイもまたその使者をとおしてエステルに詳細をすべて伝え、アハシュエロス王に直訴して同胞を救うようにと命令します。
それを聞いたエステルは躊躇しました。誰であっても、それがたとえ王妃であっても、王の許可なくして王に近付く者は死刑になる危険を伴っていたからです。さらに彼女はこの1ヶ月あまりの間、王の寝所に召されていなかったのです。彼女はモルデカイの求めるようなあまりにも大きな任務を、はたして自分がふさわしくやり遂げることができるかどうか、自信が持てなかったのでしょう。
しかしモルデカイはエステルに対して、あなたはどうあってもユダヤ人であって、この神様の共同体の一員なのだということを繰り返して語ります。神様の民は、部外者のような生き方はできないのです。ついにエステルはモルデカイの訴えに答えて王に近づく決心をします。エステルは同胞たちの3日3晩にわたる断食を求めました。断食とは神様への祈り、嘆願を意味しています。
このやり取りのなかには「神」という言葉は出てきませんが、背後ですべてを支配しておられ、ある人を召し、ある人を必要な場所に配置し、そうやって愛する民を勝利や祝福へと導いてくださる神様の存在が、明らかに意識されているように思えます。
命をかけたエステルは、ついに王宮の内庭に立ちました。彼女の心のなかでは、もはや迷いはなかったことでしょう。自分を主の摂理にゆだね、立つべきところに立ったのです。そしてアハシュエロス王の金の笏はエステルに差し伸ばされます。王に近づいたエステルは王の好意に答え、王とハマンとを酒宴に招待しました。そして王もそれに同意します。
しかしいざ宴会を開いてみると、エステルは自分が王に願おうとしている決定的な瞬間が今はまだ来ていないと直感したようです。そこでエステルは翌日も宴会を開き、そこで自分の気持ちを王に伝える約束をします。王はいよいよ王妃の思惑への関心を強め、良い意味での期待をもってこれを待ち望むように仕向けられていったのです。そしてさらにこの1日延期した間に、神様が不思議な方法で働いてくださることになります。
さて得意絶頂のハマンはその帰途、自分をまったく恐れていないモルデカイを見て憤り、帰宅後、妻と友人に心の喜びと怒りとを述べます。そして妻や友人たちの言葉に従って、モルデカイを処刑するための柱を立てさせました。