聖書66巻のなかで女性の名前がその書名に付けられているのは、ルツ記とエステル記だけです。そのためエステルは聖書に出てくる女性のなかでも最も顕著な一人として、多くのキリスト者に慕われてきたようです。またエステル記はユダヤ人の間で大変慕われている書物でもあります。
エステル記の時代的背景はエズラ記・ネヘミヤ記とよく似ていて、イスラエルの民がバビロン捕囚から帰還した後の歴史を背景としています。当時の世界の大帝国ペルシャの王アハシュエロス(一般的には「クセルクセス一世」として知られています)の治世の初期の頃の話で、ペルシャの首都シュシャンがその舞台となります。エステルという聡明な女性と、彼女を養育したモルデカイという一人のユダヤ人が、知恵と勇気と信仰をもってユダヤ民族をその存亡の危機から救うというのが、その大まかなあらすじです。
1章は古代ペルシャの王宮における豪勢な酒宴をもって始まります。おそらくギリシャ遠征を前にしての様々な会議や、国威高揚と戦士たちの士気を鼓舞するためのものであったのでしょう。この大宴会の終わりにハプニングが起こりました。その席上、酒の勢いですっかり調子にのったアハシュエロス王が、王妃ワシュティの美しさを民や首長たちに誇示するために王の前に来させようとします。ところが王妃はこれを拒み、王は激怒します。なぜ王妃が王の絶対的な命令を拒否したのか、それは謎ですが、見せ物にされるのを嫌がる気持ちは理解できるでしょう。激しく憤った王は、法律の知識に詳しい知恵者に諮り、その一人メムカンの献策を取り入れることにします。その結果ワシュティは退けられ、男性主権の勅令が全国に発布されたのです。どうやらアハシュエロス王は、感情によって左右されるような少々思慮に欠けた王様だったようです。「馬鹿なことをした」と後悔しても、もう後の祭りです。
いつの時代も人の心に浮かぶ誇りや高ぶりというものは、本当に愚かなものだということを思わされます。けれどもこの出来事が、2章以降の王妃エステル誕生のきっかけとなっていくところに、神様の不思議な摂理を見ることができるのです。
ワシュティが王妃の位から失脚して新しい王妃が求められることになりました。そこで帝国内の美しいおとめたちが王宮に召集され、いわゆる美人コンテストのようなことをやって王妃が選ばれることになりました。ユダヤ人モルデカイの養女エステルもその一人として王宮に召されます。これが彼女にとって喜ばしい出来事であったのかどうか、それは分かりません。彼女は大変美しい女性だったようで、王妃選定の責任者ヘガイの心にかないます。そしてアハシュエロス王の寵愛を受ける身となり、ついにワシュティに代わって王妃とされました。王はエステルの外見上の美しさだけではなく、彼女の性格の素直さや無欲な心をも愛したのでしょう。
養父のモルデカイはエステルに決して自分の生まれや民族を明かしてはならないと厳しく命じ、エステルはそれを堅く守りました。それはペルシャのなかにあった反ユダヤ感情や、それからくる陰謀を引き起こさないようにとの配慮であったと思います。彼はエステルがどうされるのかを知ろうとしました。この先どういう方向に事が進んでいくのか、この出来事にはどんな意味と理由があるのか。神様の摂理のなかで、すべての事は信仰者にとって恵みとなることを信じながら、人の目に隠されている神様の御業を見届けようと、じっと事の成り行きを観察している信仰者の姿がここにあります。
モルデカイは王宮の仕事に携わっていた人でした。モルデカイはあるとき2人の宦官による王の暗殺計画を発見し、エステルをとおしてそれを王に通報することで王の危機を救います。そしてそれは王の記録文書に記録されますが、このときは何の報いも得ないまま時は過ぎて行きました。