「ネヘミヤ」とは、「主は慰めたもう」という意味である。ネヘミヤはいかにして主から慰めをいただいたのであろうか。
ペルシヤの王宮にいたネヘミヤのもとにエルサレムから悲しい知らせが届いた。それは、イスラエルの民は「非常な困難の中にあり、またそしりを受けている」(3節)というのである。ネヘミヤはこのことを聞くと「すわって泣き、数日の間、喪に服し、断食して天の神の前に祈った」(4節)。悲惨なニュースを聞くとき嘆く人は多い。しかし、それを自分のこととして悲しむ人は少ない。まして、「断食して」神に祈る人はほとんどいない。祈りによって、喜びだけでなく、悲しみを共にするとき、私たちは悩み苦しむ人々との深い連帯感が生まれる。そして、神が与えてくださる慰めを経験することができる。
今日、困難のなかにあって労苦している方々を覚えて祈ろう。
ネヘミヤは、エルサレムへ帰還し、城壁を再建することを祈っていた。しかし、そのためには気難しい王の許可が必要であった。チャンスは突然やってきた。王のほうからネヘミヤに「あなたは何を願うのか」(4節)と聞いてくれたのである。ネヘミヤは、「神に祈ってから」自分の希望を答えた。すると、王は好意的に「旅はどのくらいかかるのか。いつ戻って来るのか」(6節)と聞いてくれたのである。もしも、ここで口籠るようであったら、王の気が変っていたかもしれない。しかし、ネヘミヤは、即座に「その期間」(6節)を申し出たのであった。さらに、城壁再建に必要な物を次々と王に申し出たのであった。ネヘミヤは、祈りつつ、祈りが聞かれることを確信して十分な準備をしていたのである。
私たちの祈りはどうだろうか。いつ神が祈りを聞いてくださってもいいように、十分な準備をしているだろうか。