6節の「告訴状」のヘブル語は「サタン」と同じ語源である。サタンは、最初「私たちは、あなたがたと同様、あなたがたの神を求めているのです」(2節)と仲間の顔をしてやってきた。そして、神殿を「いっしょに建てたい」と申し出てきたのである。多くの協力者が得られれば、それだけ早く工事は進むし、経済的にも楽である。しかし、民の指導者たちは「あなたがたと私たちとは何の関係もない」(3節)と退けた。簡単に、サタンの巧妙な罠にかからないように気をつけたい。
すると、サタンは、次に神殿を「建てさせまいとして、ユダの民の気力を失わせ、彼らをおどした」(4節)。「さらに、議官を買収して彼らに反対させ、この計画を打ちこわそうとした」(5節)。そのため16年にわたって「工事は中止」させられることになった。
私たちは、神の御業を達成していくとき、多くの誘惑、試練があることを心にとめたい。
サタンの妨害工作のために、民はやむなく工事を中止して、時を待つことになった。待つことは辛く、忍耐のいることである。そのなかで民は次第に、神殿再建よりも自分たちの生活を中心に考えるようになっていった。このようなイスラエル人に、神は「預言者ハガイとイドの子ゼカリヤ」(1節)を送り、彼らに警告と励ましを与えられた。神の御言葉が語られるとき、神の民は悔い改め、力を与えられて「立ち上がり、エルサレムにある神の宮を建て始めた」(2節)。
総督たちは「ユダヤ人の長老たちの上には神の目が注がれていたので・・・彼らの働きをやめさせることができなかった」(5節)。神の見守りと保護のあるところ、試練のなかにあっても、神の御業を行う力が与えられる。イスラエル人が、単なる熱心によってではなく、預言者の言葉と神の注目によって力づけられていたことに注意したい。
神が「王の心」(22節)を動かし、ペルシヤ王家の全面的な協力のもとに、神殿再建は完成した。敵の妨害による中断、民の信仰の弱さと自己中心による遅延にもかかわらず、神の目は神への信頼に生きる者の上に注がれていた。
私たちが困難ななかにあるときにも、神は変わりなく私たちを導いてくださるのである。時間はかかるかもしれないが、神の御計画は必ず実現する。
神殿再建に携わった人々のなかには、「主を求めて、この国の異邦人の汚れから縁を絶って」(21節)イスラエルの民に加わった異邦人もいた。信仰を与えられた異邦人は、そのような決断を経て民に加えられ、共に過越の食事にあずかることができた。神は、このような異邦人を「喜ばせ・・・力づけるようにされた」(22節)。
私たちが「主を求めて」「汚れから縁を絶つ」とき、神は真実な喜びを与えてくださることを覚えよう。