そしてついに、かつてのどんな王もなし得なかった、完全なる「国家の清め」がなされます。ユダ国から、異教崇拝の温床であった悪しき遺産、「高き所」(インディーズの礼拝所)が一掃されるに至ったのでした(31章1節)。ヒゼキヤが、主なる神様に従い通した、正しいよき王であると言われる所以でしょう。
「ヒゼキヤはユダ全国にこのように行い、その神、主の目の前に、良いこと、正しいこと、誠実なことを行った。彼は、彼が始めたすべてのわざにおいて、すなわち、神の宮の奉仕、律法、命令において神に求め、心を尽くして行い、その目的を果たした」(31章20〜21節)。
そしてついに、あのアッシリア大帝国がユダに魔の手を伸ばします。北イスラエル国を滅ぼし、近隣諸国を次々に植民地にしてきた大帝国の、ユダに対する姿勢はあまりに傲岸不遜です。国家を挙げて、「国を清めて主に従い通す」という姿勢を貫いてきたヒゼキヤと、傲慢極まりないアッシリアの王セナケリブ。2つの国家が遂に接触するのでした(32章1〜19節)。
その結末は、あまりにも劇的です(32章20〜23節)。
栄光のうちにヒゼキヤはその生涯を閉じ、その子マナセが王となります(32章24〜33節)。ダビデ王朝第15代国王(南北分断後から数えると、第13代ユダ国国王)の誕生です。
主なる神様の約束は途切れることなく、ダビデの系図は続いていきます。そう、我らの主、イエス・キリストの誕生へと・・・。