第26金曜 歴代誌第二29章〜30章



【祈り】

[1] 主の祈り

【聖書通読のたすけ】

 歴代誌第二(下)のハイライト、ヒゼキヤの生涯が始まります。歴代誌のなかでも、最長の4章がその生涯に充てられています。
 南ユダ国には、先代の王、アハズの時代に、アッシリアに救援を求めたものの、逆に攻撃を受けてしまった、という負の歴史がありました。目下、南ユダ国はアッシリア帝国の攻撃下にあります。また、かつての同胞である北イスラエル国が、アッシリア捕囚によって滅亡し、10部族が離散してしまったのも、このヒゼキヤ王の治世での出来事でした(参照:第二列王17章1〜6節)。このように、29章から始まる記述の背後には、常にアッシリアの脅威があったのだ、ということを覚えておいていただきたいと思います。
 アッシリアの脅威下にあるユダ国。このユダ国を統治するにあたってヒゼキヤは、近隣の列強帝国にすがるのでもなく、力を求めて異教の神々にすがるでもなく、まず主なる神様を礼拝する神殿を修復し(29章1〜3節)、しかる後にこれを清め(29章4〜19節)、新たなる思いでもって、いけにえと賛美とをささげるのでした(29章20〜36節)。
 またヒゼキヤは、ユダ国ばかりではなく、アッシリア捕囚によって荒廃してしまっていた、北のイスラエル国にも使者を遣わし、残留民たちにも、ともにエルサレムでの神殿礼拝に参加するように呼びかけます(30章1節)。ダビデ・ソロモン時代のような、かつての統一王朝黄金時代を彷彿とさせる呼びかけです。「ベエル・シェバからダンに至るまで」(30章5節)ということばに、このことが如実に表されています(ベエル・シェバは、南ユダ国の南限の街。ダンは、北イスラエルの北限の街。日本地図で言うところの「南は九州沖縄から、北は北海道まで」とよく似た言い回しです。すなわち、北イスラエルと南ユダ国とを「統一国家」と目している言い回しなわけです)。
 ともに主なる神様を礼拝し、喜び祝う、イスラエルとユダの民たちの姿です。
 「エルサレムには大きな喜びがあった。イスラエルの王、ダビデの子ソロモンの時代からこのかた、こうしたことはエルサレムになかった」(30章26節)。


【信仰告白】

[2] 使徒信条