命からがら、ユダ国の首都エルサレムへと帰還するヨシャパテでした。「主に従わない国」と同盟関係を結んでしまっていたことを深く恥じ、ヨシャパテは、国を挙げての一大宗教改革に乗り出します。「主に従う」ことをアイデンティティーとするユダ国の、そのアイデンティティーの再確認をなすのでした。今回は特に、司法の分野において改革がなされます。前の対アラム戦において、「悪を見過ごされることは決してない主なる神様」の、その正義の御業を目の当たりにしたヨシャパテは、ユダ国内においても、正義の裁きが行われ、不正やえこひいきやわいろが一掃される、司法行政の改革を断行いたします。よほど、戦での教訓が身に沁みたのでしょう。主にある清廉潔白さをめざす、断固たる改革です。
しかしながら、対外的にはやはり、対アラム戦を経て、「ユダ国内の一致は盤石のものではない」との風説が広まってしまったのでしょう。かつては、その信仰における一致ゆえ、近隣諸国は恐れをなして近づきもしなかったものでしたが(17章10節)、改革途上の隙を突き、次々と攻撃を受けるはめになってしまうのでした(20章1節)。
今回ヨシャパテは、何よりもさきに、主なる神様からの助けを祈り求めます(20章3〜13節)。対北イスラエルにおいて、安易にアラムと同盟を結んでしまった、父アサとはえらい違いです(16章1〜4節)。国家の一大事であるところの危機的状況を打開するために、国民が、一堂に会して、主の御名を呼び求めたわけです。政府の高官や、宗教的指導者のお歴々が列席するそんななか、主なる神様からの預言の言葉は、ヤハジエルという一介の聖歌隊員に臨みます(20章14節。アサフの子孫が代々聖歌隊職に就いていたことについては、第一歴代25章1節を参照)。「この戦いではあなたがたが戦うのではない」(20章17節)という、聖歌隊員に与えられた主からの言葉を文字どおり信じ、ユダ国軍は聖歌隊を先頭に立てて進軍いたします(20章21節)。賛美の歌声のなか、人の手によらずして、ユダ国軍は勝利を収めるのでした(20章20〜26節)。再び賛美のなか、凱旋帰国するユダ国軍です(20章27〜28節)。
その後、再び北イスラエル国と同盟を結ぶという過ちを犯すものの(20章35〜37節)、基本的には主に従い通したユダ国の王、ヨシャパテでありました(20章30〜32節)。
ちなみに、20章33節等にある「高き所」というのは、公認の礼拝所であるエルサレム神殿以外の、数多くあった「インディーズ礼拝所」のことです。ここでは、主なる神様以外の異教の神々へもいけにえが捧げられ、偶像崇拝の温床となっていたようです。