13章、レハブアムの息子アビヤの治世。ヤロブアムとの戦が記されている。どちらも精鋭を率いたがアビヤは40万、ヤロブアムは倍の80万。数だけ見るならヤロブアム圧倒的優勢、にもかかわらず、勝敗は予期せぬ方向へ。勝敗を決した要因は何か。これを読み取るべきであろう。18節、ユダが彼らの父祖の神に拠り頼んだからだと聖書は記す。
アビヤは戦いの前に神が王国をダビデとその子らとに与えたことを知らぬはずはなかろうと問いかける。神がダビデ及びその子孫と契約を結んだのだということこそ、思い起こされるべきことであった。また、ヤロブアムの造った金の子牛礼拝に参加する祭司は、神ならぬものの祭司となることであり、それは自ずから自分を神との契約の外に置く行為であるといえよう。比べてユダは、父祖の神を神とし、その戒めを守っている。ユダに戦いを挑むことはその神に戦いを挑むこと、ヤロブアムに向かって「主と戦ってはならない」(12節)と戒めた。にもかかわらず、ヤロブアムは、多勢にまかせてユダに対し伏兵を置いて、前後からはさみうちを仕掛けた。その結果、神がヤロブアムを打ち破られたのだ。
14章、アビヤの子アサの治世。彼は偶像礼拝を排除し、主の律法と命令とを守り行わせ、ゆえに主は、ユダに平安をもたらした。クシュ人ゼラフが、100万の軍勢、300台の戦車を率いて攻撃をしかけるが、アサは主に祈り勝利をおさめる。この時も、神に拠り頼む者が大軍を打ち破った。
15章、さらにアサは、オデデの子アザルヤを通して語られた言葉に従い、偶像礼拝を排除する。ユダ王国は、正統なダビデ王家の王国であるからといって、王の独裁ではなかった。誰であっても神からの言葉を取り次ぐ者の言葉には、従う価値があると示された。逆にアサの母マアカがアシェラ信仰を行った時には、実の母を王母の位から退ける英断も見せた。
ユダ王国の祝福は、血筋によるのではなく、イスラエルの神、主に対する信仰にあった。