23〜27章では、晩年のダビデが神殿建設後の各部署の分担を定めたことが記される。初めに23章でレビ人の大別がなされ、24章では祭司、アロンの子らの組分け、25章では楽器をもって仕える者の組分け、26章では門衛その他の組分け、27章では軍隊、王の役人の組分けが記されている。
この順序はダビデの意図するイスラエルの国の在り方を表しているだろう。戦世にあって勇士たちをかしらとする12の軍団が務めを果たし、国の安全が保障されることの必要はわりやすい。しかし、彼らの名の記される前に、4章にわたって神殿の奉仕分担が記される。
人事・軍事の心遣いの前に神事の務めを果たす。これがダビデの優先順位だった。とりわけ、アロンの子らがしかるべき務めを果たすことがイスラエル王国の祝福にとって最重要とダビデは考えていた。
彼らが働く至聖所とは何か。それは十戒を入れた契約の箱が安置される場所。神がモーセを通して賜った戒めの言葉こそ、神ご自身の臨在を象徴するものに他ならない。
神の言葉に従わずに香を炊くことに何の意味があるだろう。アロンの子らは、芳ばしい香りをそこに漂わせつつ、何が神を喜ばせることなのか思い巡らし、教え、実践しつつ生きることを期待されただろう。そして御言葉に従う民にこそ平和があるようにと、民の祝福を祈ったのではないか。
他のレビ人の務めの重要性は、アロンの子らを助けることに位置づけられている(23章28節)。彼らの助けがあってこそ、アロンの子らは至聖所の奉仕を全うすることができた。
25章で音楽奉仕に重要な位置付けが与えられていることも驚嘆させられる。それらは賛美及び預言を助け、力づけるものとして用いられた。まず立琴と十弦の琴は指でつまびく撥弦楽器。ついで打楽器シンバル、さらに角笛。礼拝に楽器が用いられたということは、礼拝が秩序ある公の行為であり、調和とリズムを大切にしていたことを想像させられる。
弦楽器は、正確な調弦をいつも要求しただろう。音楽を奏でる前に調子を整えること。礼拝者は、自分の霊が神に向けて整えられ、その後、神を礼拝するのだ。
シンバル、角笛は、合図を示し、人々を一斉にある行為へ、別の行為へと仕向けただろう。礼拝とは、共に歩調を合わせ神の前に進み出る行為である。神の前で共に生きる共同体としての「我々」を体験する時であったと思う。
神殿歌人はみな達人であった(25章7節)が、それは個性発揮の賜物ではなく、礼拝の歌の目的を知って技術を錬磨している専門家という意味であろう。そして実際の奉仕当番はくじ引きによる。技能の優劣でない、練達は期待されるが、奉仕は皆同じように交代で担うという、これが礼拝奉仕者に要求される技量と責任のバランスだった。