21章は、ダビデが人口調査を命じた罪と、そこからきた刑罰、そして赦しが記されています。
聖書をみると、民の数を調べるという記述は、民数記をはじめ、この歴代誌にもたくさんあります。したがって、人数を調べること自体は、悪ではありません。ダビデの罪は、サタンの誘惑に従って行なったことにあります。このダビデの罪ゆえに、民の間に疫病が起こったのであります。なぜ、ダビデの罪なのに、と考えてしまいますが、やはり指導者の責任というのは、それだけ重いということを心に留めたいと思います。
ただ、ここを注意深くみると、本来なら12節にあるようにイスラエルの国中にさばきが起こるはずでした。ところが実際は「ダンからベエル・シェバに至るまで」と限定されます。さらに、そのさばきも途中で止められたのでした。ダビデが何かをしたからではありません。主の赦しが先行したのです。ダビデは預言者ガドをとおして主に言われたことを実行します。すなわち、オルナンの打ち場を買い取り、そこに祭壇を築き、全焼と和解のいけにえをささげたのでした。主も天から火をくだして答えてくださいました。
このダビデが罪を悔い改めた場所、そして主が彼を赦された場所、ここが後に神殿となっていきます。
22章は、神殿建設の場所が決定し、それをソロモンに受け継ぐことが記されています。
17章において、ダビデは神殿を建ててはならないと言われていました。なぜダビデではダメなのか、その理由の一端が明らかにされます。それは8節にあるように「多くの血を流してきたから」であります。ふと疑問に思います。ダビデにとって戦は避けられないものではなかったのか。サウル王に仕えていたときも、また王となったあとも、国を守るためにしなければならないことではなかったのか。にもかかわらず、ここにきて、それを理由に神殿を建設できないとは、どういうことであろうかと。
ただ、じっくり考えていくと、やはり主の御心は「戦い」ではなく「平和」にこそあるのだと思わされます。人の罪ゆえに戦いは起こりえますが、主は決してそれを積極的に望んではおられないのです。それゆえでしょう、神殿を建設するのはダビデではなくソロモン、その名前はシャローム、平和・平安から派生した名前です。
イエス様は「平和をつくる者は幸いです」と言われました。今、ソロモンの神殿はありませんが、神の宮とされた私たちは、「戦い」ではなく「平和」を愛し、つくるものとさせていただければ、と思います。