歴代誌が記述編集された成立年代は、いつ頃でしょうか?歴代誌の最終ページの内容から推測すれば、南ユダの崩壊後相当経ってからです。神の民が敗戦国奴隷として屈辱に耐え、ようやくペルシャのクロス王から解放帰郷を許可されて以降の時代と思われます。
とはいえ歴代誌の著者がとりあげているタイムスパンそのものは非常に長く、これよりはるか以前の創世記に記された出来事から始まっています。
そう、「アダム、セツ、エノシュ・・・」と、いきなり人類の始祖から読み上げられるのです。その後、私たちに馴染み深い名前、ノア、アブラハム、イスラエル、ダビデなどが記述されながら12部族の系図へと入っていきます。最初の1〜9章までは系図や人名で埋め尽くされますので、日本人には読み辛い部分です。
ところで、私たちが結婚披露宴に出席したとき、よく新郎新婦の紹介に乳幼児期から少年少女期にかけてのスライドショーを見せられることがあります。ちょうどそのように、歴代誌は神の民の生い立ちと道のりを読者に再確認させるところから始まります。
ティンデルの歴代誌注解書を担当したM. セルマンは、こんな話しを紹介しています。
ある教師がユダヤ人の生徒に聖書のなかでどこが一番好きな箇所か?と聞いたそうです。すると生徒は、系図だらけのこの「歴代誌の最初の8章だ」と答えたそうです。
そんな話を聞くと、聖書を「私たちのことが書いてある書だ」とする真剣な受け止め方については、日本人はまだまだユダヤ人の足もとにも及ばないのかと、考えるのです。
アダムから始まりペルシャ捕囚時代までを網羅する歴代誌は、旧約聖書のダイジェスト版と捉えられそうで、とにかく著者は、捕囚から帰還して骨抜きになった民を教え、励まし、育て上げるために必要な内容を厳選してここに編集したようです。
さて、歴代誌の内容の大部分は、サムエル記、列王記などと重複しています。なぜこんなに並列記事が必要なのかといぶかりたくなりますが、新約で福音書が4人もの著者で立体的に描かれたことを思えば、これらの重複も信仰者の聖書理解の手助けになっても邪魔にはならないでしょう。いや邪魔どころか、重複して提供せねばならなかったほどに、ダビデと分裂王国時代の歴史は、特別に大切な出来事に満ちていた!ことを悟るべきではないでしょうか。
重複していても、注意深く読めば一つ一つの出来事に、著者は短く非常に興味深いコメントを挿入しています。たとえば、ダビデが血を流してきたから(第一歴代28章3節)、人々に愛されなかったヨラム(第二歴代21章20節)、心を高ぶらせたヒゼキヤ(第二歴代32章25節)など、並行箇所では見つからない言及には、目が釘づけになりそうです。