南のユダ王国はダビデの血統が王位を継いでいきましたが、北のイスラエル王国では、常にクーデターによって前の王朝が倒され、次の王朝が樹立されました。王朝の交代がこのように血なまぐさい手段で行われたのは、倒された王朝の不信仰を主がさばかれた結果ですが、歴代の王朝はそのことを悟ることはありませんでした。
私たちは日々の歩みの中に主の御手が働いていることを感じなければなりませんが、不信仰のために霊的な目や耳が塞がれている者には、主のみわざが見えないのです。
イスラエルの王はゲハジから、かつてエリシャが死んだ子どもをよみがえらせた話を聞き、たまたま、訴えのために来たそのシュネムの女とその子を見ました。彼は女の訴えに答えましたが、おそらく、それはエリシャのみわざに感じ入ったからでしょう。しかし、彼はエリシャのみわざのなかに神を見ることはできなかったようです。
まことの神を見ることができないのはアラムの王も同じでした。ですから彼らも暴力的な手段で王位を簒奪していきました。ベン・ハダデはその部下ハザエルによって殺され、王位を奪われました。
ユダの王たちのなかにも信仰的堕落が忍び寄ってきました。それはアハブの家と婚姻関係を結ぶことによって起こりました。信仰が堕落したからアハブの家と婚姻関係を結んだのか、婚姻関係を結んだために堕落したのか、おそらく、その両方でしょう。彼らには目先の繁栄しか目に入りませんでした。これが将来、決定的な国の破滅に至るという自覚はありませんでした。
アハブの子ヨラムはエフーの謀反によって殺されました。エフーはアハブの妻イゼベルも殺しました。すべては主の預言の成就によるものでした。