人はどんなに地位や名誉を得ても、苦しみや悩みの1つや2つは必ずあるものです。
アラムの将軍ナアマンがそういう人でした。彼は主君に重んじられ、尊敬され、勇士でもありましたが、ツァラアトに苦しんでおりました。
ここに神が用いられた人たちがおりました。一人はアラムに戦争で捕虜になって連れて行かれたイスラエルの少女、彼女はナアマンの妻に仕えておりました。もうひとつはナアマンの部下たちです。
この少女が、イスラエルにはエリシャという預言者がいて、ご主人のツァラアトを直してくれるだろうと女主人に告げました。彼女が仕えているのは憎むべき将軍の妻の家です。本来なら、恨むことはあっても直せる人がいることを教えることはなかったでしょう。しかし、彼女はそのおかれた境遇にもかかわらず、そこで誠実に主人に仕えました。
エリシャのもとに来たナアマンは、彼に「七たびヨルダン川で身を洗いなさい」と言われて、怒って帰ろうとしました。そのとき、彼の家来たちが、「あの預言者がむずかしいことをあなたに命じたのなら、あなたはそれをしたのではないか」と、彼の心のうちをズバリと言い当てました。ナアマンは自分の傲慢さに気づかされたのでしょう。取って返すとエリシャの言ったとおりに行いました。すると、ツァラアトは治りました。神は、異邦人であるナアマンにもみわざをあらわしてくださったのです。
彼の部下たちは、自分の上司であるナアマンに直截に進言するだけの勇気と誠実さを持っておりました。ナアマンも、その忠告を受け入れ、悔い改める心の広さ、柔軟さを持っておりました。
しかし、イスラエルの王とアラムの王は、ナアマンのいやしから何も学ばなかったようであります。欲にくらんだゲハジもツァラアトに冒されてしまいました。
私たちも、そのおかれた場所で、誠実に日々の生活を送りたいと思います。そして、人の忠告を感謝して受け入れ、悔い改めることができる者になりたいと思います。そうすれば、神は私たちにもみわざをあらわしてくださると思います。