王国が分裂する経緯が描かれる。レハブアムがシェケムへ行ったのは、このときすでに表面化していた、北部族との溝を埋めるためであった。北側は、特別な召しを受けた(第一列王11章31節)ヤロブアムを代表に立て、苦情を訴える。レハブアムにしてみれば、決定済みの課税を軽減させることは容易な作業ではなかったし、何よりもヤロブアムを代表とする北側の苦情を聞き入れることは受け止め難い選択。彼は長老たちの「仕えよ」との助言よりも、若者たちの「懲らしめよう」との力強さに共感した。
以降、北と南の分裂は決定的なものとなり、「ユダ」は南ユダ王国を、「イスラエル」とは北イスラエル王国をさす言葉となる。仕える王のモデルから離れるとき、神の民は分裂へと向かう。
北イスラエルの滅亡の原因は、その後次々と不信の王が立てられるにもかかわらず、本章のネバテの子ヤロブアムに帰せられている(第二列王13章2節ほか)。普通王国の評価は政治手腕によって判断されるところであるが、聖書の評価はそれと違う。
北王国成立後、政治能力の高いヤロブアム(第一列王11章28節)が取りかかったことは、南との完全な決別だった。シェケムとペヌエルの再建は南からの侵略を防ぐ、軍事的な意味を持っていた。さらに彼は精神面でも南からの脱却を図り、エルサレムに行かずとも祭儀が執り行えるよう、自国の南北にそれぞれ礼拝所を設け、一般人を祭司としてたてる。
祭儀の日にちに関して比較的詳細に説明されている(32・33節)。祭りの日を第8の月の15日(それまでは第7の月の15日)に変えたのは、エジプトで月の新しい数え方を学んだと思われるヤロブアムらしい考案である。彼は新宗教を造りだしたのではなく、エルサレムからの独立を企てた。
本来神への信仰に従って国が成立されるべきところを、自らの政治的関心のために信仰を利用した点こそが彼の最大の罪である。ヤロブアムの失敗に注意しなければならない。
誤った礼拝の在り方そのものを裁くため、神の人は祭壇に向けて主のことばを告げる(2節)。ヤロブアムの王としての命令も、この主のことばの前では何の力も持たない(4節)。
11節以降、「主のことばをいかに聞くか」とのテーマが続く。ベテルの老預言者は、南から来た神の人に魅力を感じ、偽りをついてまでも自らの家に彼を招き入れた。結局主の真実のことばのみが実現し、神の人は裁かれる。老預言者も、真に与えられた神のことばを語らざるを得なかった。この難解な出来事は、将来イスラエルがたどる、破局への道を示している。神のことばから離れるとき、滅亡が訪れる。しかしこれらの出来事を見ても、ヤロブアムは立ち返ることをしない(34節)。